矢作先生:古事記はメッセージを終えて
17日は矢作先生の「古事記へメッセージ」という講演をサポートさせていただきました。日比谷図書館に向かう途中、電車の中でばったり。そこで今日はどういう流れにしますか?とお話して「ディスカッション」にすることが決まりました。講師と会場が「並列」になる空間。この形はこれからのスタイルではないかと感じました。...
View Article減らないというバイブレーション
こちらに居る自分は「増える減るというバイブレーション」で創造されている。あちらに居る自分は「減らない」というバイブレーションで創造されている。この条件は皆一様である。 減らない世界に楽しいは無い。増える減るの世界だから苦楽がある。コンビネーションというか、多彩な変化が創造される。...
View Article神性、仏性、現実、とは?
増える減るという世界だから時間は存在する 減らない世界に時間は存在しない 無限とは、時間が存在しないことかもしれない 増える減るの世界で、減らないを生きると現れるモノを 人は、神性とか仏性と呼ぶのかもしれない 自分という感覚が減らない。この文字が腑に落ちる人は、現実から解放されていると思う。もしくわ、その手前に居る。...
View Article感覚はとても平面的なものに見えた
人生はつまるところ「自分という感覚」。こう見えてくると実に刹那だ。美しいと感じた瞬間は美しいものとなるのに、その直後にアクシデントが起こり、酷いと認識すると立ちどころに酷いものになる。人生は、自分という感覚が瞬間瞬間創造しているホログラム。自分という感覚がホログラフィ。 感覚は、かなり平面的なものかもしれない。...
View Article時間とは、極めてヒューマンなもの
いまここ しかない 精神性が語られるとき、良く使われる表現です でも「いまここ」は、「時間は有る」と認識した意識状態では絶対に理解できないと「感覚」しました。この感覚はとても新鮮でした。自分という感覚が「増える減る」を示しているときは、「時間の有る世界に居る自分」を「自分だと認識」しているので、「いまここ」を実感することは無理でしょう。 自分は減らないんですだって「それ」のホログラムだから...
View Article今日のたまサロン
今日の「たまサロン」は、こんな風景でした。 「わたし」とは「わたしという感覚」。この「わたしという感覚」が、どのバイブレーションと共に在るかで「人生の質」は変わってくる。運命ではないということ。...
View Article人生の質はシンプルに「二択」から生じている
私たちは、ふたつの世界にまたがり生きている。増える減るという生涯答えの見えない世界と、減らないという答えしか見えない世界、この二つの世界にまたがり生きている。 人生の質はシンプルに「二択」から生じている...
View Article12月15日オープンディスカッション
講演者と会場が並列になるオープンディスカッション。昨日も矢作先生とお会いして、良い空間になればいいねとお話できたところです。 霊性・愛・あちらとこちら・こころ、などを切り口として行われる講演になると思われます。生きていることの実感を確かなものにできるかもしれない可能性があります。...
View Article映画「ツナグ」けっこう前に描いた記事
今日は何にもしない日≪ツナグ≫という映画を見ました 死後わたしたちはわたしたちと認識できているモノを手放します この世に存在できなくなった仮の自我たちが手放す前にもう一度会っておきたかった人に会うこんな奇跡を映画にしたものです 愛し合うって仮の自我があるときしか体験できません 多くの人が自分と認識しているものが≪仮の自我≫です...
View Article今日の稽古で腑に落ちたこと
今日の稽古で、はっきりしたこと。ちなみにこのお方、結構有名な精神科のドクター。 「意思の疎通」これがどこで起きているかで「人生の質」は変化する...
View Article一年前に描いた記事
一年前に「同じこと」を言っていた。でも「質」が違う。質とはバイブレーション。大事なのはバイブレーション、語る内容よりもバイブレーション。バイブレーションとは「聴覚では認識できない音」みたいなもの。それを「ゆらぎ」と呼んでいいかも。ーーー全て…これはエネルギーで、あなたとか私とか物体じゃないとわかった。...
View Articleプリミさん・保江先生・王の間
昨夜はプリミさんと保江先生の王の間コラボだった。表面的にはでこぼこトークだったけど、「それ」になると、ちゃんとシンプルにコラボしてる。12/15からプリミさんはエジプトに行くから、また帰ってきたらコラボかもね。...
View Article人生とは?現実とは?「わたし」という感覚なんだよ
エジプトに行った時の写真 35歳だったかな。このころは今の感覚を全く理解していない。理解はしてなかったんだろうけど感じてたんだろうね。それがようやく「理解」に変化した。そして「理解の幕開け」とも呼べる12/15を迎える。 わたしこの感覚が動かないと動かない...
View Article自然治癒力の幅
わたしという感覚は「そういう場所」と呼んでもいい。そういう場所が、肉体という場所と連動しているとき「プラスとマイナスの世界」に縛られるのだろう。「ここ」に居ると、「自分と呼べる感覚」が、そういう仕組みに見えてくる。 自分という感覚を移す...
View Articleヒーリングとは?
ヒーリングとは行為ではなく現象。 今まで自分だと感じていた感覚が、不自由や不完全を体験するために創られた乗り物だとわかる。この不自由なくしてコミュニケーションは存在しない。相手を相手と認識しなければ、いわゆるコミュニケーションは存在しない。...
View Article霊性・神性という中心は高台には無い
いろんな価値観が在る。だから面白い。でも、遺恨が残るように争うことは面白くない。こういう感覚で居たいから「減らない場所」に自分を感じている。 スピリチュアルな単語を使っていても、プラスマイナスが同時に生じてしまう感覚では、霊性や神性を理解することはできないだろう。そのように思える。...
View Article気がついた人から始める
今日、クライアントさんに話していたことは、とても理解しやすかった。それを描いておきます。この三人とも、共有できるところが多いと思います。 ーーー...
View Articleコミュニケーションの基盤は、決して複雑ではない
「わたし」という感覚が、どういうものなのか?これを把握することが変容の始まり。この「感覚の変容」なくして、知識や情報を活かすパターンは変わらない。このパターンが運命であり人生となる。 パターンの基盤となっているモノ、それが「わたし」この感覚なんだ。内宮で出会った「それ」。「それ」が、裏切らないとは減らないこと、と答えたことから始まった変容。この変容は「私という感覚」を、全くの別物にした。...
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