ヒーリングとは行為ではなく現象。
今まで自分だと感じていた感覚が、不自由や不完全を体験するために創られた乗り物だとわかる。この不自由なくしてコミュニケーションは存在しない。相手を相手と認識しなければ、いわゆるコミュニケーションは存在しない。
大日如来は、いわゆるコミュニケーションをしない。それは絶対と呼べる場所に自分を認識しているからだ。絶対と絶対が呼応するのが「あちら」のコミュニケーション。絶対と絶対は、プラスもマイナスも生じないから、気にかけるとか存在しない。
絶対が、相手の絶対を通して不自由に干渉する
それは行為ではない、「現象」でしかない
「ここ」に時間は存在しない。時間が存在しない場所を「いまここ」という。だから、時間が在ると認識した状態で「いまここ」を探求することは、答えのない知恵の輪に取り組んでいるようなものだ。始まりからして「NO」なのだ。