今日の稽古で、はっきりしたこと。ちなみにこのお方、結構有名な精神科のドクター。
「意思の疎通」
これがどこで起きているかで「人生の質」は変化する
どう言うことかというと、こういうこと。近藤隆さんという人が居るとします。多くの人はこの人を「近藤隆さん」と認識します。これは「わたしが居て、あなたが居る」と判断している「意識領域」で意思の疎通を図っている「結果」です。この領域での意思の疎通を「三次元意識」と言います。三次元意識とは「増える減るという感覚に自分を感じている意識」です。「あなた」と認識した場所に意思の疎通を図る状態です。
この三次元意識が過ごす「人生と呼べる場所」は、車で例えるなら「ブレーキとアクセルを同時に踏まなければ車を進ますことのできない、非常に厄介で面倒な場所」です。
想像して下さい、
ブレーキとアクセルを同時に踏んで車を運転することを。
想像を絶する緊張の連続です。これが多くの人が体感している「人生の質」です。「減らない」という感覚に自分を感じられるようになった「わたし」は、近藤隆さんをこのように感じています。
みんなが、近藤隆さんと認識している「これ」
みんなが近藤隆さんと認識している「これ」と、みんなが吉野太と認識している「これ」が、意思の疎通を図っている。こういう認識が、今日の稽古で腑に落ちました。この認識が腑に落ちるとアクセルとブレーキを好きな時に選択して踏めます。かなりリラックスして車の運転ができます。
車とは「自分と感じている感覚」です。
多くの人はブレーキとアクセルを同時に踏んで「自分と感じている感覚=車」を進ませるしかない。でも「目覚める」と、好きなようにブレーキとアクセルを選択できる。文字にすると、ちょっとめんどくさい言い回しになりますが、「目覚める」とはこんな感じではないでしょうか。目覚めた状態を「五次元意識」などと呼ぶことがあります。
三次元意識のままでは、いくら知識・情報・メソッド・経験値を積み上げても「開放」は起きないんです。まあ「増えた」と感じたときに「開放されたような感覚」にはなりますが、それは「開放」ではないので、また落ちます。「答え探し・理由探し・成長探し・ブループリント探し」などと表現できる「永久の探究」を、三次元意識は続けるしかないのです。三次元意識に解放は起きないのです。
「これ」は「これ」と意思の疎通をする
「これ」と「これ」に、あなたという認識は出てこない
「これ」とは「空・絶対調和・無我」などとも呼ばれている
菜穂さんは「これ」を「それ」と表現していました。ここに描いたことが「なんとなくわかる人」は、12/15に来ると、この手の感覚がはっきりする可能性が在ります。人生の質を、本当の意味で変えることができます。