エジプトに行った時の写真 35歳だったかな。このころは今の感覚を全く理解していない。理解はしてなかったんだろうけど感じてたんだろうね。それがようやく「理解」に変化した。そして「理解の幕開け」とも呼べる12/15を迎える。
わたし
この感覚が動かないと動かない
これが人生だったなんて、まあ見事ななぞなぞだよね。釈迦先輩は「全ては内にある」と言っていたそうだけど、ほんとにそうだよ。脳科学などはそれを肯定してるよね。
だって「わたし」が認識したことが
現実であり人生なんだから。
「わたし」という感覚が、美しいと認識しなければ、美しいは現実にならないんだもの。「わたし」という感覚の奥底にある「本音」が現実であり人生なんだ。だから「わたし」という感覚が
どこにあるの?
これがそのまま現実になってるんだよ。
そういう意味では認識を変えにくいモノが在る、それが「痛み」。でも「ここ」から眺めると、その痛みがあるから「肉体との連携」を保っていられるみたいだってわかる。肉体との連携は≪不自由を知るためには欠かせない≫からね。
高次元意識が、不自由を知るために
肉体という気ぐるみを着て、高次の記憶を消し「地」に降りた
そこで不完全・不自由という「新しい宇宙」を体験している
こんな解釈も「ここ」に居ると腑に落ちる。いわゆるスピリチュアルが怪しく見えるのは、「ここ」に居ないのにこれらを語るからだと思う。スーパーマンの衣装を着て侯爵たれて、ビルから飛び立とうとしている人は警察に捕まるんだよね。少し前までのぼくも、この場所に近かったと思う。
でも幕が開いた。始まった。
12/15では「ここ」から三人で、バイブレーションをお届けします。あなたが「わたし」と感じている感覚を次元上昇させます。楽しみにしてください。12月27日夜も麻布で「分離と統合の教室:自分という感覚を移そうよ!」を行うことになりました。