増える減るという世界だから時間は存在する
減らない世界に時間は存在しない
無限とは、時間が存在しないことかもしれない
増える減るの世界で、減らないを生きると現れるモノを
人は、神性とか仏性と呼ぶのかもしれない
自分という感覚が減らない。この文字が腑に落ちる人は、現実から解放されていると思う。もしくわ、その手前に居る。
現実とは、増える減るの感覚を言うのだろう。だから世界とは「感覚」と言ってよいかもしれない。自分という感覚が世界。
「減らない」という場所に居る自分は極めてシンプルになる。たぶん未来人は極めてシンプルな思考になり「自他を淘汰」したのだろう。自他を淘汰すると極めて少数のコロニーになると予測できる。顔とか姿とか気にしなくなる。
ファッションは「増える減るの世界=ここ」にしか存在しないかもしれない。概念の違いに反応するのも「ここ」だけかもしれない。
「ここ」に居ながら「あちら」を生きる。「あちら」に居る自分で「こちら」を生きる。そこには無限と呼べる「フラット」が生まれる。フラットでありながら喜怒哀楽という刹那を生きる。解放とは、そういおうことのように思えるようになった。