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Channel: 新しいノンデュアリティ
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絵と絵具とキャンパス

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絵と絵具とキャンパス

これ

物体と原子と「それ=ぬしさま」

絵には個性が在り融合や拒絶が存在する
絵の世界に居る私が個人ね
この個人が好き勝手に解釈を与えて
絵の世界に融合と拒絶を創りだしてしまう

絵具には違いはあるが拒絶は無い
青い絵具を拒絶する赤は存在しない

絵具の混ざり具合に解釈を与えているのは
物体としての個人だけ

絵具はキャンパスが無ければ絵を描けない
キャンパスを「それ=ぬしさま」と理解すると「全部それ=全部ぬしさま」に辿り着きやすいと思う

絵とは絵具の乗ったキャンパスだ

「私」という固有の感覚は「絵にしか存在しない」
絵具にもキャンパスにも存在しない

絵の部分には衝突と融合が在る
不自由な「個人」が存在する

絵具とキャンパスには個人が存在しないので不自由はない
選択が無いということだ

絵具を原子と言い換えれば
原子は一定の法則で動いているだけで
個人のように意図して選択しているわけではない

私と原子とそれ

私は居ないと宣言している「私」は
絵には存在しない
即ち、もう不自由はない
意図して選択することもない
一定の法則どおりに選択が行われるだけ
絵に面倒な解釈は与えない
この「私」は「全ては愛」なんて表現するしかなくなる

私が居てもいい
ただ私は絵として存在している「部分」に過ぎない

絵=物体=個人 絵具=原子=霊 それ=キャンパス と
理解すると
不自由な絵の世界「個人」を眺める位置に来られるかな

引力は物体にしか影響しない
不自由や個人という感覚も「引力」が創りだしていたりして

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