昔の知り合いがブレゼンターで出ていた。その当時は「自分が見つからず」迷走しながらも模索することを彼は続けていた。
画面に見る彼は「彼が表現したかった自分」に出会えたようだ。少し救われた。彼にも自己愛さんで接していたからだ。自己愛さんが顔を出すと必ずマウントしている。
彼が主催するイベントに2度出演したことがある。1度目はそれなりに出演者として役割を果たせたと思う。
しかし2度目のときは彼のことは眼中になかった。当時師事していたY先生と共に出演したからだ。
如何に自分が目立つかにこだわり、いま振り返れば失礼極まりない出演者だった。
自分が特別だと認知されることが最優先になるのが「自己愛さん」なので、そのために周りを平気で踏み台にする。表面は取り繕うが、腹の中は損得に上下ばかり気にしている人格破綻者だ。
自己愛さんは、表面と腹が見事なほど別人格になる。
この気質は「個性」なので治らない。治らないけどケアすることはできる。ケアできれば「味」になる。弱みは「味のある個性」になる。
目が見えない人や足が不自由な人には、多くの人が優しく接する。肉体の不自由は「見てわかる不自由」だからだ。
パーソナリティの不自由
精神障害は「見てもわからない不自由」になる。パーソナリティ障害に対して多くの人は「なんでわからないの?バカなの?おかしいよ?」と苛つく。
自己愛性パーソナリティ障害
様々なパーソナリティ障害がある。見てわからない不自由「パーソナリティ障害」は様々にあるんだ。
相手をまともだと思い込むから「無性に腹が立つ」と思うこの頃。
あれ?この人パーソナリティ障害?
見えない不自由を抱えている人?
と、内々で処理すると
無駄に腹を立てることが少なくなりました。
目が見えない人がゆっくり作業しても苛々しないですよね?これと同じように、見えない不自由を抱えている人にも
↑こちらの動画は様々なパーソナリティ障害を簡略に説明しています。
目が不自由な人が居るように、パーソナリティが不自由な人も居ます。優しくしろとは言いませんが、無闇に腹を立てるのは損でしかありません。