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Channel: 新しいノンデュアリティ
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カルマという海に住んでいるイルカ

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カルマと「わたし」

ここで言う「わたし」とは普遍意識である自分を指します。カルマとは名前や生年月日で現されている自分です。カルマは「様々な想い」を持っています。この想いが上手く運ぶと悦び、上手く運ばないと辛いと苦しみます。カルマのの持つ「想い」が上手く運ぶようにサポートしているのが「わたし」です。

カルマという海があるとします。この海に住んでいるイルカがいます。イルカは水の中を泳ぎますが哺乳類です。哺乳類なので「息つぎ」をしないと泳げません。

イルカが気持ちよく泳ぐためには
気持ちよく「息つぎ」する必要があります

この「息つぎ」が普遍意識である「わたし」になる瞬間です。通常ですと睡眠時に自動的に「わたし」になるので「息つぎ」が滞ることはありません。しかし何世代の輪廻を持ちこしてきたカルマに出会うと、睡眠時に行われていた自動的な息つぎができなくなります。なぜできなくなるのか?

意図的な「息つぎ」を
覚える必要があるからです

意図的に
普遍意識である「わたし」にシフトするコツを
覚える時期が来たからです

これが「目覚める」です

この視点に立つとなぜ苦しいのかの答えは「ひとつ」になります。「息つぎしないまま泳ぎつづけようとしているから」となります。意図的に「わたし」にシフトすることを覚えなければならない時期なのに、それを覚えようと取り組まないから苦しみが続くのです。いわゆる運命でも因縁でもないと思います。

息つぎができると
思考はポジティブにシフトします

息つぎをしないで泳ぎ続けることは忍耐と我慢と根性の苦行になります。その道を選んだとしても、いつかは息つぎをしますから問題はないのですが、釈迦が3000年前に「もうそれやめない?」と提案してくれているのですから、そろそろやめませんかって話です。黒斎さんではありませんが3GからELTにですね。

悔み続けても碌なことにならない
この後悔は手放した方がいい

このように多くの人は「悟り」を開いています。開いては居ますがそれを体現できない。なぜ体現できないのかも「意図的な息つぎ」これを会得していないからとなります。悟りは体現できなければ、新たな苦しみの種になるだけです。

後悔を手放し
その後悔に手かざしする

手かざしをする手は絶対に握れません。文章だけで伝わればいいのですが、手かざしをしている手はなにも握れないということです。握れないということは手放せているということです。手放せているから必ずカルマは解消してゆきます。カルマが解消されるとき内側から湧き出るような安心と自負を得られます。これこそが生きているいまの醍醐味ではないでしょうか?

本当の自分の声があるとしたら、ぼくはこう思っています。本当の自分の声とは普遍意識である「わたし」の声になります。ですから誰の声であろうと同じではないかと感じるのです。

カルマを解消するためにここに居る
カルマを解消するために名前と生年月日を受け入れた
一つでも多くのカルマを来世に持ちこさないために
今日も一つでも多くのカルマを解消しよう

黒斎さんの言うところのプレイヤー意識ですね。天命とか天職とか運命の人とかを望んでいるのはカルマのほうですね。「わたし」は普遍意識ですからそういうの望まないと思っています。カルマは想いを成し遂げなければ光の記憶に還ろうとはしません。だから輪廻するのです。

手かざし手かざし 解消しましょう
息つぎ息つぎ 優雅に泳ぎましょう
窒息しそうに泳いでいるイルカをみて
カッコイイと思いますか?


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