仙骨 胸骨 後頭骨
色即是空空即是色 生命の相
昨夜 矢作先生から感じたこと
昨夜 矢作先生から感じたこと
生きているというのはこの上なく不自由であること。その不自由の中にコミュニケーションは存在する。私が居てあなたが居る。私はあなたに何ができるだろう? 私はあなたに何をしてほしいのだろう? この不自由は生きている「いま」しか体験できない。
自分という意識が濃い状態が不自由。矢作先生はとても薄かった。矢作先生を見ると神社に敷かれている玉砂利が見えた。「存在」なんだな矢作先生はと思った。
全てが「存在」。だけど多くの場合「自分であること」が濃すぎてそれが見えない。それが見えてからの不自由は全く違う不自由になる。それを「仮有:けう」と呼ぶのだろう。
昨夜はすてきな時間でした。ありがとうございました。
4月16日 保江先生シビックホールスタッフ
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
生命の相
4月16日 保江先生シビックホールスタッフ
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
お薦めの本です
裏古事記への誘い 昨夜から今まで一気読み
自分が居て相手が居る
この不自由に機転が利くとは「対立が治まる」ということ
「生命の相:あめのみなかぬしのみこと」は
この不自由から対立を外してくれる
対立が治まる世界、これが新時代かもね
対立はあなたの中にある、相手との間じゃない
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生命の相って「天之御中主神」と言ってもいい
大国主命は従順な配下
アマテラスはおてんばさん
直系に「その国よこせ!」と言われたら
優秀な家臣はその申し出を受けざる得ない
おてんばさんが治めてたから争いが絶えなかった
眞出雲は対立が無かったのかもしれない
アマテラス信仰では対立から逃れられないかも
おてんばさんだから
対立が生み出した美しさもあるけどね
うんうん確かに美しい
アマテラスは美しさに憧れていたのかも
とっても憧れていたのかも
無いモノは欲しいものね
あめのみなかぬしのみこと関連記事
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面白いと時間も体力も減らない
全ての真ん中「生命の相」が発動するとは
こんなものみたい
4月16日 保江先生シビックホールスタッフ
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
対立 対に立っているだけなのに
対立
これを意識すると
いまの社会は争っていると認識してしまう
対に立つ
それだけのことなのに「争い」にしてしまう
対律=対として律する
男として女として、正しいこと間違っていること、
それぞれの位置で律する
正当性を主張する時代は幕を閉じようとしている
自らの想いを律することで「秦の声」が産まれる
その声は優しい
あめのみなかぬしさま 始まりますね^^
ぬしさま
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
自分 これをどう感じているのか?
今日は新月 インド帰りのトシキさんのキルタンに行ってきた。相変わらずというか、また一段と空間になっていたトシキさん。
自分 これをどう感じているか?
ここがそのまま「解釈」になっている。現実とは「それに対する解釈の仕方」と言える。解釈は「自分と感じている部分」を変化させない限り変わらない。言葉の表現やニュアンスが少し変化するだけで、自分という位置が変化しなければ「同じ解釈」になる。
自分と感じている部分は「物体」にある。もし物体を構成している「原子」に自分を感じていたら迷うはずがない。原子が「あなたは嫌い」なんて発想するはずがない。何かを好きになったり嫌いになったりするのは「物体」の部分に「自分を感じている」からだろう。
わかりやすくいえば
白いキャンパスと絵具と絵の関係だ
物体は絵、原子は絵具、キャンパスは「ぬしさま」
絵は「あなたと私」を表現する場所。だからそれぞれに個性が在る。しかし絵は絵具で描かれている。青と赤は衝突しない融合するだけ。たぶん「好みじゃない」なんて他の色を拒絶する赤なんて存在しない。原子とは一定の法則によってくっついたり離れたりするものだ。
それでも絵具には違いが在る。しかし絵具はキャンパスが無ければ絵になれない。キャンパスに違いはない「同じ」だ。
「ぬしさま」が居るから
原子(霊)は物体(個人)を描けるんだよ
それがぼくだしあなたです
「私」という意識はたぶん「絵にしかない」そう見えます。その「私」が絵具やキャンパスを意識できると「仮有:けう」になる。「絵」の部分は分離が在って不自由を体験する。理解しあえたり、衝突したり、不自由を体験する。
私は居ないと言える「私」は、もう不自由じゃないだろうな。。。
だって絵の部分には存在しなくなるんだもの
絵の部分にしか「不自由という解釈」はないのだもの
今日書いたことが見えた人は不自由からの離脱
もうすぐだと思うよ^^
絵と絵具とキャンパス
絵と絵具とキャンパス その2
4月16日 保江先生シビックホールスタッフ
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
生命の相活性ヒーリング
4月16日 保江先生シビックホールスタッフ
4月27日 諸戸ゆうきさんお笑いトークライブに友情出演
4月29日 橋本歯科医院セミナールーム ワークショップ
4月30日 輪の風ワーク
6月6日 並木良和さんとトークショー
面白い準備運動が出来上がりました
今日改めて実感したこと
今日改めて実感したことは
この場所は不自由から始まっている
この実感
不自由なことなのに
感覚として当たり前になっているから
不自由と思わないことがたくさんある
呼吸をしないと生きられない
どこかに行くのに移動しなければならない
お腹がすく
焦点を合わせないと見えない
あげるときりがない
この世界の全ての体験が
不自由から始まっていると実感すると
この不自由に対してどう機転を利かすか?
これが連続して起きているのが日常となる
ここに正解不正解は存在しない
結果、喜ぶか?苦しむか?があるだけ
機転を利かす
これは自我にとっての必須事項だ
ただ機転を利かさないと困ってしまうのは
「顔」の部分だけなんだよね
最近は薬師如来をモデリングする
薬師如来が不自由な世界に来たら
どのように機転を利かすだろう?
不自由になってしまった薬師如来
あったかくて笑えた^^
この薬師如来は
失敗を体験したくて不自由な世界に来た
思い通りにならないとは?どんなことなのか
知りたくてこの世界に来た
薬師如来じゃなくてもいいけど
こんな風に自分や相手を見ると笑える
笑いがこみあげてくる
顔がゆるむ^^
うわ~~大仏めっちゃ怒ってる!
あら~~観音落ち込んじゃった!
ミカエル?うつ?
まあ不謹慎だと怒る人もいるだろうけど
真ん中はみんな同じ「ぬしさま」だもの
「ぬしさま」というキャンパスに
高次元意識という絵具で描かれた「不自由な絵」
それが「自分と感じているもの」だってわかると
この世界は愉快だ^^
自分はどこまでも永遠に不自由なんだよ
ただ謎解きができると「機転が利くようになる」
不自由が深刻にならなくてすむんだ
不自由に対してどう機転を利かすのか?
これが「天命」なんじゃない^^
4月16日保江先生シビックホールスタッフ
4月27日もろとゆーきお笑いトークショー友情出演
4月29日橋本歯科医院セミナールームワーク
4月30日輪の風ワーク
6月6日並木良和さんとトークショー
超五感
4月27日もろとゆーきお笑いトークショー友情出演
4月29日橋本歯科医院セミナールームワーク
4月30日輪の風ワーク 13:00~
6月6日並木良和さんとトークショー 19:00~
「思い通りにならない」という世界に居るのが「私」なんだから
という世界に居るのが「私」なんだから
「私」には思い通りにならないんだよ
これが明確になると「超五感」が見えてくる
超五感は
思い通りにならい世界には存在しない
別空間の作用だ
瞑想体操みたいな練習がいいと思う
そう見ると
冠光寺眞法は瞑想体操みたいなものだ
超五感が五感に流れ込んだとき
即ち、自意識が次元転移したときに作用する
日々練習だよね
ハトホルも自意識の次元転移だもの
奇跡的な病の回復も
自意識の次元転移により起こる
思い通りにならない世界に居る自分にしか
病は存在しない
練習練習
「I LOVE I」から始まる自他社会
科学者たちが面白い話をしている
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並木さんとのトークショーの告知はこのブログでもしてくれると思います
マリオの心の変化が伝わってくるゲーム
違うって素晴らしい!
違うって素晴らしい!
気持ちが違うことに感動できるのは
自分という意識の根っこが「ワンネス」だからだろう
気持ちを同じにしたがるのは
自分という意識の根っこが「分離」だからだろう
夫が同じ考えになってくれません
彼が勝手なんです
上司が私の話を聞きません
困窮を訴えてくる人は
同じ気持ちになれないことを嘆いている
でもここで今日思えたことがある
同じ気持ちになりたいわけじゃなくて
共同作業をスムーズにしたいんじゃないの?
同じ気持ちにならないと共同作業ができない
こういう錯覚に陥っていることが多い
会話も共同作業だ
生きていることそのものが共同作業だ
円滑な共同作業は
互いが自律していると起こしやすい
深層心理に分離が根強いのと
ワンネスが根強いのでは
共同作業の質は違ってくるだろう
違うことを素晴らしいと感じる自分は
深層心理にワンネスが根付いている
同じ気持ちになりたがるのは
同じ思想になりたがるのは
深層心理に分離がはっきりとあるからではないだろうか?
ここに自分が居る限り共同作業は円滑にならないだろう
違うって素晴らしい!
違うってワンダフォー!
I LOVE I^^
この反応を増やすだけで深層心理にワンネスが根付くだろう!
波動を上げるってこういうことでもあると思うのだ
違うことを素晴らしいと言える自分は
自分を愛せている
自分を愛せているから誰かのことも楽に愛せている
愛を無条件にするって
こんなところからも入れると思う
気持ちが違うんだね^^素晴らしいじゃないか!
じゃあヒーリングという共同作業を始めようか!