Quantcast
Channel: 新しいノンデュアリティ
Viewing all 2657 articles
Browse latest View live

人生とはどんなゲームですか?ルールは?

$
0
0
間違うことを恐れる状態にどのように対応するのか?心という場所で行われているゲームだ。ゲームにはルールがある。簡単には手放せないというルールがある。簡単に手放せるというルールに変えてしまえばいいのだが^^これが簡単ではない。

あなたにとって人生とはどんなゲームですか?
そしてそのゲームのルールはどんなものですか?

この問いに答えると「間違うことを恐れる状態をどんなときに手放せないのか?」「つい自己否定してしまう場所=他者を批判してしまう場所」「安定して肯定している場所=他者に寛容になる」などが具体的に見えてくる。

自我は個人ではなく全体

$
0
0
クリシュナムルティの言葉です

私が自我を全体として完全に、すっかり見て取ることができた時にのみ、私は自我というものを理解し、そして自我から開放されるのです。

実は自我は全体そのものではないかと思えたのです。それで「自我は全体」と検索したところ、この言葉に会いました。

自我が小林美智子という領域に現れると小林美智子として表現を行う。自我が吉野太という領域に現れると吉野太として表現を行う。世界は自我の自作自演。

自我が神

自我が「私は居ない」という領域に現れたから「私は居ない」と表現する。ここから眺めれば大和田さんの反応は、普通の反応だと見えました。

多くの場合 自我は、個人という領域に隠されてしまうので、個人としての感覚を自我だと思い込んでしまう。しかし天岩戸が開かれるように個人としての感覚が横にズレると「自我」が本来の姿を現す。

自我こそ全てであり
自我こそが創造主である

この感覚 あなたにはどう映りますか?
ぼくは不思議な広がりを感じています。

人間に必要なパワーは自己肯定感

$
0
0
さて今日は福田君とのコラボです。仙骨を意識していて見えてきたこと。これはてとてシンプルなことでした。人間と呼ばれている場所にとって必要なことは「自己肯定感」ここににつきます。人間という場所は「心の世界」とも呼べます。ここは「足りない」が万有引力のように働いています

足りない。。。
ここからどうすれば解放されるか?
こんなゲームかもしれません

コミュニケーションにおいても「互いの肯定感を育てる」という点で取り組むと、相手がどうのと批判する気にはならなくなります。面倒な対話もありますが「トレーニング」と思えば相手が鉄アレイに見えてくる。今日は福田君や集まったみなさんと「肯定感」を育めれば自ずと良い時間となることでしょう。肯定感の誘導瞑想はそのままヒーリングになります。
3月13日 大久保の橋本歯科医院セミナールーム 


3月12日 福田と吉野の仙骨会議 清澄白川

3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円     15:00~16:30 雑談 0円
6月6日たぶん19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca

ワークショップの感想

$
0
0

昨日は謎のわくわく感で幸せいっぱいな気持ちでした。きっと吉野さんが一時的に波動をあげてくれたおかげですね。

今朝からさっそく、仙骨→胸骨→後頭骨、と意識しています。私は立ってやるより座って意識すると内臓がぞろぞろっと上に引き締まる感じがします。

ただ、後頭骨のあと、ふんわり上に抜けて行く感があまりなくて、頭の上がじんわりしてくる感じになります。でも、安心感がわいてくるというか、自然に微笑むような感覚になります。意識の仕方がわかるようになり本当に、嬉しいです。

今まで心屋仁之助さんやさとうみつろうさん、バシャール、まなさん、色々な人の講演会に行ったりDVDやYouTubeで見たり、本を読んだりしてきましたが、迷路に迷い込むばかりでした。

なのに、昨日一回であんなに気持ちがわくわくする感覚が体験できるなんて、本当に感動しました。帰りの自転車はスポットライトがあたっているみたいなイェーイ!な感じでした!

毎日楽しんでやってみまーす!
ありがとうございました!


3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円    15:00~16:30 雑談 0円
4月29日 13:30~15:00第二回 橋本歯科医院セミナールーム6月6日たぶん19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca

実験は続く

$
0
0
12日、13日と連続で「いまある状態」をプレゼンさせてもらった。自我が全てであり、その中に様々な領域が産まれた。初めに自我が在った。だから自我は右往左往しない。I am that i am わたしはありてあるもの。まさに自我が全ての始まりだった。ここにある波動はいい。「足りないから始まる反応」を空間伝達で離脱させてくれる。

主張する私が消えた後に現れる「わたし」。個人が消えた後に現れる「わたし」。この「わたし」の表現に個人による主張は無い。「現れる」という表現が起こる。このとき内臓はエネルギーとして横隔膜より上に上がっている。仙骨→胸骨→後頭骨→上空にあるゲートへと龍脈が開くとき、私が消え「わたし」が現れる。

さて次は3月21日目黒Rose Omichiさんとの6時間コラボだ。更なる「わたし」をプレゼンできるか?実験は続く。3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円     15:00~16:30 雑談 0円
4月29日 13:30~15:00第2回 橋本歯科医院セミナールーム6月6日たぶん19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca

I am that i am

$
0
0

さっき来た来院者に話していたこと

仏だったぼくらがお化け屋敷に来た。足りない足りない屋敷に来た。それが「生きてる」ってこと。全てが足りている場所には感動は無い。足りていないと感覚できるから充実が在る。そういう面倒な世界に仏の世界から来たんだよ。観音様を見て楽になるのは「自分を思い出すから」なんだよ。

最近の心境

足りない。。。ここから解釈が始まる世界、それが「人間」。”わたし”に出会えないと無意識に「足りない」から思考を始めてしまう。足りないから、様々なストーリーを創り隙間を埋めようとする。永遠に埋めようとする、それを「個人」と呼ぶ。

足りない。。。から離脱した世界に居るもう一人”わたし”

それはもう私とは呼べないけど”わたし”なんだよね。I am that i am そういうものなんだ、この”わたし”は。

いつもありがとうございます^^

二軸を生きる、生きている

$
0
0

二軸を生きる、生きている。

世界としてのストーリーな私と
在りてあるモノとしての”ただあるわたし”。

ただあるわたしのなかに
様々な世界としての私が点在している。

世界は点なんだ、
わたしのなかで輪廻を繰り返す点なんだ。

”わたし”は、”ただある”。
ここは波動が在るだけ。

人間という世界は「足りない。。。から始まる世界」
この世界が”この波動”をキャッチしていると
これからは破壊と再生を手放すみたい

そういう時期みたい。

二軸の体験を取り戻す”ただあるわたし”のヒーリング

$
0
0

二軸を生きている、それを思い出そう

足りない。。。から始まる地上と、
常に完璧に満ちている上空と二軸を生きよう

地上と上空、肉体と空間、足りないと満ちている、心と魂、

足りない。。。から起きた「心」という世界
満ちている。。。から起きた「魂」という世界

足りないから持てた「慈しみ」
満ちているからそこにある「愛」

人間らしさが在るとすれば「慈愛」
自他を慈しむことができる愛「慈愛」

「二軸」を生きる、生きている
これを忘れると絶望が起こる
足りないが自我の中で無限に増殖を始める

二軸を生きているとき内臓は上がっている
仙骨→胸骨→後頭骨→上空へと龍脈が開く

足りない。。。これが在るから慈しめる
足りない。。。が愛に満ちるから慈しめる

”ただあるわたし”のヒーリング
二軸の体験を取り戻そう



3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円     15:00~16:30 雑談 0円
4月29日 13:30~16:00第2回 橋本歯科医院セミナールーム主催 ゆめの舞6月6日たぶん19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca


起きてることは?全部⚪️まる

$
0
0

はせくらみゆきさんの言葉にステキな言葉があった。

起きてることは?
全部⚪️まる

この言葉も二軸を使っていると楽に言える。しかし、足りない…から発すれば辛抱になる。たしかに忍耐強くなれば結果が成功になる確率は高くなる。

成功率が高くなるから最初は満足するのだが、次第に重圧が高まり「足りない」という「心の中心力」に抗えなくなるだろう。

二軸は「足りない」が「ただの体験」になる。お化け屋敷で体験する恐怖と、本当のお化け体験の恐怖は桁が違う。そんな違いが起こる。

起きてることは?
全部⚪️まる

二軸を使えば全部⚪️まる

庭の檸檬が春を告げている

4月29日橋本歯科医院セミナールーム申し込みページ

$
0
0

「冠光寺眞法と仙骨」ワークショップ

前回、ご好評につき2回目を開催させていただきます。
今回は、どんな出任せが飛び出すか、どうぞお楽しみに

講師:輪の風 吉野 太 先生
   冠光寺眞法東京道場所属、冠光寺眞法セラピスト
 
開催日 4月29日 13時30~16時
16時~17時雑談

参加費:2000円お茶、お菓子付き

場所:橋本歯科医院セミナールーム2階
東京都新宿区北新宿1-4-8
(最寄り駅 JR中央線 大久保駅)
★南改札口から出てください。
スタッフが12時50分に南改札におります。

★録音OKです

申し込み方法
メール・FAX・往復ハガキにて
※電話でのお申し込みは受け付けておりません。
① 「4月29日 仙骨ワークショップ」と明記してください
② 申し込み人数
③ 申込者全員の氏名
④ 郵便番号
⑤ 住所
⑥ 電話番号・FAX番号・メールアドレス(こちらから連絡する際の連絡先)
※電話でのお申し込みは受け付けておりません。
<お申し込み先&お問い合わせ先>
★メール:yokohama.manamana@gmail.com
★FAX:045-952-3352(受付時間 午前7時~午後9時)
     返信用のFAX番号を必ずお書き下さい
★往復ハガキ:〒241-0032
       横浜市旭区今宿東町1493 リバービュー88 D-1
       Yokohama ゆめの舞
 返信ハガキに住所・氏名をご記入下さい

主催・問い合わせ Yokohama ゆめの舞 おいかわ ゆうこ

注ぐと目的が現実化するエネルギーと告知

$
0
0

苦しいとき
私たちは自分を強調しています

私の悲しみ、私の将来、私の彼、私の仕事、苦しみを訴えてくる人は「私の。。。」と自分であることを強調してきます

幸福感を表現しているとき、私たちは自分を強調しません。美味しい、楽しい、素晴らしい、こうとっさに反応しているときは自分を強調していません。

私の美味しい。。。とは感覚していません

ですから目的を達成したいときに「私がんばるから」これは、目的達成のために「苦しむエネルギー」を注ぎ込んでいることになります。

多くの場合、がんばるときって
私を強調してしまうんですよね

いわゆる私が消えたときに現れる”もう一人のわたし”。これが真我と呼ばれているものです。この真我の現れを「愛」と呼びます。”それ”とか、”これ”とか、そんな風に呼ばれているもの、それが「真我」です。真我に想い(思考)は無いみたいです。

自分であることを強調している状態を「個人」と呼びます。この個人を「エゴ」とも呼びます。そういう意味では個人が消えた状態を「無我」と呼んでもいいでしょう。


あなたがいま苦しんでいるなら
それは「個人」だからです
自分を強調して目的に向かっているからです



ある意味、人生を堪能したいなら「自分を強調しない状態の心地よさ」を体感することです。この体感をもたらすメソッドとして「”ただあるわたし”のヒーリング」も「出るに任せるセミナー」も存在させています。今日出た出るに任せる語録です。


愛を知ったとき、あなたは無敵になる
私が強調されてないからね。。。


愛を知るために「トレーニング」に励みましょう^^


「告知」

3月25日所用で京都に行きます。16:00に京都に着いて東寺を見学します。宿泊は滋賀県(京都から20分くらい)です。セッションを受けたい人が居たらメッセージ下さい。都合がつくかもしれません。26日は無理です。



波動と私 I am that i am

$
0
0

今日一番しっくりきた表現

波動と私(心・全ての感覚・記憶)

私が出しゃばらなくなるから衝突が消える

「私と心」では味わえなかった解放だ

波動=ただあるわたし=I am that i am=愛 am that 愛 am

3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
3月25日18:00~ 京都セッション 受けたい方はメッセージを3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円     15:00~16:30 雑談 0円
4月29日橋本歯科医院セミナールーム申し込みページ6月6日たぶん19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca

齊藤一人さん 振動数の話

$
0
0

私が。。。 私の。。。
「私」を強調していると振動数が下がる

「私」は「足りない」からできている。だから、頑張れば頑張るほど「足りない」を強調してしまう。

私がんばる!→足りないが強調される→辛抱が決壊する→どうしてこうなるの。。。涙→また、私がんばる!

「私がんばる!」は、辛抱や忍耐というパワーはつくけれど、これがつくから「足りない」を手放せなくなる。努力が実らない。これが人間の苦しみ。

”わたしは波動” 私を強調しない”状態”
振動数があがる

私が消えて”わたし”が現れる

一人さん ”わたし”が語ってるよね
”わたし”が語るとき「なんとなく聞いて♪」みたいになる
みんなも気負わなくなる

いいよね^^出るに任せるセミナーのお手本のひとつ斎藤一人さん 振動数の話

固有振動数

$
0
0
状態をプレゼンする。これ、固有振動数をプレゼンするになる。最近見えたことは、「場」は人間が発する固有振動数に合わせて変化しているということ。引きよせとは固有振動数が場に影響を与え起こしている。現実の全てが引き寄せなら、固有振動数が現実を作り上げている。固有振動数は「二軸」を使うと安定する。気持ちがあとを引かなくなる。起きてることは全部○まる。これも固有振動数。

自分を顔だと思うから分離が起こる

$
0
0

昨日はroseさんとのコラボでした。平山さんをはじめ多くの方に感謝です。まあ大笑いしたワークになりました。

昨日も「状態」を届けさせてもらいました。そこで出た「出るに任せる」は面白かった。

分離感は皮膚にあるという話をさせていただいていましたが、その皮膚の中でも「顔」ここが最も強烈な分離を生み出していることに気がつけました。

そういう意味では
最も分離を生み出しているパーツは「顔」です

ですので愛魂のワーク中、先ずは顔を見て愛していますと唱えて見て下さいと試したところ、愛さないときより動きは楽になりました。しかしそれから「今度は相手の顔が骸骨に見えたら」愛していますと唱えて見て下さいと指導したところ、結果は大笑いと共に不思議なくらい軽々とみなさん動きました。さらに調子に乗って「骸骨が笑いだしたら愛していますと唱えて下さい」を試したら、会場の空間が歪むくらいエネルギーが充満してすごいことになりました。解放感とは「分離からの解放」を意味しているのでしょう!

人を見たら骸骨と思え!
これ面白いです^^

確かに振り返れば「顔」が分離の象徴です。いまの社会は顔が同じなら誰が誰だかわかりません。分離は衝突を産みます。分離は「足りない世界」にあります。だから「顔」を自分と認識する限り「足りない世界」を離脱できません

足りない世界に居る自分は「顔」なんだ
この認識は実生活に不思議な現象をもたらします
不思議と衝突が減ります
そういう「振動数」を持っている概念なんです

衝突したくなかったら
自分からも相手からも「顔」を外してしまえばいい
無茶ぶりでしょうがこれは「かなり効果的な衝突回避振動数」です

人を見たら骸骨と思え!
試した人だけ体験できる不思議な感覚です
先ずは10日間から^^
相手や自分の「顔」を外して骸骨だと見て下さい
骸骨が笑っていると見えたら上級者です


多くの苦しみは比較から産まれている

$
0
0

多くの苦しみは「比較」から生まれている
劣等感・優越感、どちらも同じ苦しみだ

比較がなぜ?生まれるのか
「顔」を自分や相手と認識しているから

骨。。。ここから認識する世界に比較は生まれない
インタープリターモジュールが「比較」をストーリ化できないのだろう

骨は男女の違いすら概念に認識させない
余程の骨格研究者でない限り^^

骨が10人歩いてきたら
友達がどれかだって
顔認識のときより遥かにわからない

比較が産まれない自我は安心して優しくなる^^

自分や相手から顔を外して「骨」として見る
バカげた提案に見えるだろうが
試してみると不思議な感覚を体験できる

現実とは多くの場合「解釈」だから

自分を「顔」だと認識してるからエネルギーを奪われる

$
0
0
エネルギーを奪えるのも「顔」なら、奪われるのも「顔」なの。

一緒に居て気持ちいい相手は「互いにエネルギーを奪わない相手」なんだと。

そういう相手とは「顔」で付き合えばいいけど、一緒に居て疲れる相手とは「骨の付き合い」にすればいいんだ。

「骨」として相手を見てれば、相手はエネルギーを奪えないの。

たぶん本人もエネルギーを奪うことやめられないんだよ。だからこっちが「骨」として見てあげる。そうすれば奪えない。

不思議なことが起こる

無意識レベルだけど「あれ!今日は奪わなくてすんだぞ!」みたいに、つい奪ってしまうその人が安心する。無意識レベルで安心するの。これを続ければ不思議な変化が起こる可能性は遥かに高くなるんだよ。

一緒に居て疲れる人が居るんなら
「骨実験」試してみよう^^3月25日 18:00~京都セッション3月27日 13:00~15:00輪の風ワーク 5500円     15:00~16:30 雑談 0円
4月29日橋本歯科医院セミナールーム申し込みページ6月6日 19:00~都内某所並木良和さんとトークショー主催 アセンションシスターズ 協力 rocca

煩悩と悟り 二軸を生きる

$
0
0

さて京都出張からも帰還して、さらに「顔と骨」の関係が見えてきました。まさに顔と骨は「煩悩と悟り」の関係になるのです。

相手や自分をはっきりと分離している場所が「顔」です。正確には「顔が出している振動数」です。モノマネが上手な人は「その人の顔が出している振動数」をキャッチしてそれをまねます。人は「どうみえているか?」ではなく「どう感じたか?」で判断しています。これを固有振動数と呼びます。

相手や自分を「顔で認識」していると「煩悩という次元」に「自我を置くこと」になります。煩悩という次元は「比較することで快感や不快感を味わう」こういう設定になっています。否定や批判は、比較することで産まれた不快感が創りだしています。また比較することで生まれた快感は「幸福だったことへの執着」を創りだします。

相手や自分から「顔」を外してみて下さい

顔を外すとはのっぺらぼうに見るということではありません。この顔の下に骨が在るよね。こう認識し続ければ、気がつけば顔を外しています。相手や自分を認識するのに「顔という認識が中心に在る限り、煩悩中心の感覚を外すことはできません」

葬儀を終えて骨だけにになった故人を「仏様になったね」と当たり前のように認識します。骨には「悟りの次元に存在する自我」が居るのです。ですから誰かを認識するときに「骨が在って顔が在る」と認識し直すだけで、その人との間に煩悩が発生しにくくなります。

顔が出している振動数を「相手や自分」と認識する限り「煩悩から解釈してしまう人生」を続けることになります。しかし「顔の下には骨が在る」このように骨が出している振動数を相手や自分と認識し直すと「悟りの世界に居る自分」がリードする人生になります。悟りの世界に居る自分がリードする人生とは「煩悩をエンジョイできる人生」ということです

悟りだけでは幸福は味の薄いモノになります。大日如来のように浮き沈みがなくなります。表現が平らになります。煩悩と悟りがコラボしているから「人間」は楽しいのです。煩悩とは「比較することで生まれる快と不快の世界」です。ここには真の安息は存在しません。しかし比較が全くなくなれば浮き沈みがなくなる。変化しなくなるということです。


煩悩引力の世界と悟り引力の世界

$
0
0
誰かを意識したときに「顔」が真っ先に浮かぶようなら「煩悩」という世界に生きている。「顔以外」が浮かぶようなら「悟り」と呼べる世界に生きている。正確には煩悩引力の世界か、悟り引力の世界か、だけどね。これも「二軸」になる。なんという明快な線引きか!

色即是空 空即是色
煩悩はそのまま悟りであり
悟りはそのまま煩悩である

「仮有:けう」=「悟り引力圏」 で行きたいね顔以外=振動数 光 エネルギー 骨骨は誰の眼にも写る。ここから取り組むと「振動数 光 エネルギー」も見えてくる。認識とは、半分はイメージでできていると捉えてもいいものね。

病の回復の仕方

$
0
0

多くの場合人間は、皮膚に自分を感じている。それを骨に移行する。皮膚は煩悩を担当し、骨は悟りを担当している煩悩と悟りの関係が「自我」と呼べる。病は煩悩引力圏に自我があると起こる。悟り引力圏に自我を引き戻すと回復する。この仕組みは単純でいい。

Viewing all 2657 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>