皮膚の外に自分を感じると
愛が領域だとわかる
その領域の真ん中に自分は居る
その自分はここに居る自分とは違う
しがらみがない
そこから眺めるしがらみは
心地良いモノになる、体験だもの
伝染してゆくしかない真実
伝染することで理解が起こる真実
そういう時間、共に過ごそう
皮膚の外に自分を感じると
個人セッションの感想
昨日は、ありがとうございました~。
yです。
吉野さんの手が肩に置かれてから、小さい変化?や体の外の感覚や、一緒に移動している様な感じが少し感じれていたように思います。
体の外の感覚!
訓練なんですね~。
あと、愛は、私の認識しているのとは、だいぶ違うものなのかなぁとも、思いました。
体の外の感じは、大きい光や光の密集で、私もただの丸い光みたいだった様に思います。でも、これは、わたしの脳が見せているんだろうな~と思ったので、イマジネーションでオッケーと言って頂いて、なんだかホッとしたんです(笑)。
さて、話しは全然変わるのですが、今、目の中がキラキラして、視界が邪魔なのですが、これは、何なんでしょう?(笑)何か知ってたら、教えて下さい(知ってる訳ないですね(笑)。と、言ってるまに、治まってきましたが、、、。うーん、不思議。
では、まとまらず、しかも、長文失礼しました!また、よろしくお願いします。あ、メリークリスマス!ですねー(笑)
ーーー
目に映るキラキラは、意識の深いところが眼を覚ますと見える真実。意識の深いところでは個人が判断できないから見えるんだよ。
What I am?
意識は皮膚の外に出そうとしなくても、皮膚の外にあったみたい。それを忘れなければ、意識の深いところは眼を覚ますようだよ。
^_^
天使も個人という領域
24日のクリスマス講演は聖なる空間だった
今年最後のワークショップ
今年最後のワーク。完璧な終了であり、完璧な始まり、そういうワークになりました。
伝えたいことが明確に現れた
今まで現れなかった伝えたいことが現れたんです。なんで現れたのか? 自分の力で現そうとしなくなったからです。
自分の力とは、個人の力です
個人にパワーはない、全体にはパワーがある。全体に動きはない、個人には動きがある。全体のパワーで個人が動く。
What I am?
私は何? この問いに、全体のパワーで動く個人と反応するようになりました。
個人は常に全体からの完璧なメンテナンスを受けています。
ただそのことに気がつかない個人は、自らにパワーがあると勘違いして動きます。結果「ひずむ」のです。自らのパワーで動き続ける個人は知識や情報、体験を増やすことでシフトできると思い込み「ひずみの連鎖」を繰り返します。
What I am?
私は何? この問いに反応する場所をシフトする。ここに進化や成長という「動き」が起きます。
天使という個人(領域)は、全体のパワーで動く個人です。この領域で見る進化や成長に「高みを目指す」は存在しません。
平らに拡がる、無限に拡がる、
が、あります。天使という個人には平らに拡がる成長や進化が起きます。個人が力まなくなるので優しい時間が拡がります。内なる衝突から離脱した個人が現れます。
長くなるのでこの辺にします。来年は2月27日に面白いところからワーク開催のお誘いを受けました。
天使という個人になると、始まりの先祖は「愛」だと認識できます。全体という空間に愛という領域が産まれた。これが個人の始まりだと見えました。ここから始まる先祖供養はパワフルです。
来年始まりのワークは16日11:30~14:30輪の風になります。集まった皆さんが現れをシェアします。完璧なメンテナンスを自覚している同士のシェアは作りのない表現となるのでとても心地よいです。
気が現れたら参加して下さい
今日は素晴らしい時間を共有できて嬉しかったです。この輪を拡げたいです。また共有しましょう。ありがとうございました。
ワークの感想♪
終わりの始まり 感想
16日のワークは序章。30日のワークは完結であり始まり。2月27日18:00~アムール主催のワークin船堀も面白いです。
今日の感想です。表現のニュアンスがページに合わないときは削除して下さい。いつも「静止する場」をありがとうございます。^_^
菜穂さんは静止から表現が起きている。質問者は動きから表現が起きている。静止は静寂である。静止に変化はない、時もない。ただある。
セラピー中に出てきた大日如来も静止から語っていた。始まりが静止だとぶれない明確な表現が起こる。動きから表現が起きていないか?この着目は個人を変容させる。
個人が静止したとき「それ」を実感する。「それ」を実感した個人は、個人が関係性を体験する領域であるだけで、ただそれだけだと理解する個人が現れる。これが大日如来などの姿として現れた。
静止から語られる表現はぶれない。このぶれないは動くことをやめられない個人に変化を与える。それがこの空間(菜穂さんを意識できる空間)なのかと動く個人が感嘆した。
静止する個人
ここから始まる現れに、これからを観た。動く個人と静止する個人、この関係性が観えると個人がただの領域だと観える。領域に意思はない。ただそういう現れが起きるだけ。
阿部さんがこれから現そうとしている瞑想やワークには興味がある。そういう意味では全く新しいアプローチであり、それに戻るだけであり、動くことから起こしてしまう個人には待っていた刺激だろう。
いつもありがとうございます
今日は稽古始め!仙骨セラピー
今日は稽古始め!
圧巻の稽古始めになりました
菜穂さんの表現していた「世界はそれしかない」が漸く観えました。スピリチュアルで多用されている「全ては大いなる意識である。個人も大いなる意識の現れであり、大いなる意識そのものである」この解釈が矮小であると宣言できます。
個人は大いなる意識を大いなる意識と認識します。しかし菜穂さんが示す「それ」は大いなる意識を「それ」と認識します。この違いは計り知れない圧倒的な違いになります。
稽古では「それ」を「何か?」と表現しました。
個人は神を神と認識する。「何か?」は神を「何か?」と認識する。これは全く違う感覚なのです。だから神を神と認識することができなくなりました。
例えば日常で言うと、車を車と認識することに違和感が出てしまい、車を車と認識したくなくなるのです。だから「この何か?は便利だなー!」と認識することにスッキリするのです。
この変化を起こす鍵は仙骨です
仙骨がスリープしていると個人が反応し判断し行動します。しかし仙骨が回転運動により目を覚ますと「何か?」が反応し判断し行動するようになります。
大いなる意識の一部であると明確に意識している個人のパワフルと、「何か?」のパワフルは次元が違います。蟻と象の違いの三乗は違います。
輪の風は仙骨セラピーを始めます
このセラピーは30分もあれば十分です。仙骨をスリープから脱却させ目を覚まさせます。仙骨が目を覚まさせば「何か?」が反応し判断し行動するようになるので解決に向かいます。
個人はパワフルになったとしても、不安と友達になれたり、不安に屈しない強さを手にしたり、個人であることに変わりはなく「無情」なのです。
仙骨セラピーはまだ始まりなので30分6000円から始めます。上手になれば10~20分になるので4000円も可能です。通常の全体智セラピー60分12000円も続けます。
仙骨を右に左に回転させ目を覚まさせろ!「何か?」に反応させ判断させ行動させろ!
輪の風の新しい風「仙骨セラピー」に期待して下さい^_^_^新年早々愛魂はやっぱりすげーなー!やっててよかった冠光寺眞法!君も共に体験しないか!個人から「何か?」にシフトする次元転移を!
10日11日稽古に参加した門人さんへ
仙骨エクササイズで筋肉痛が出た人へ
仙骨回転エクササイズは最初調子に乗りすぎてやると筋肉痛が出ます。滅多に使わない内部の筋肉が躍動するのでまず筋肉痛がでます。エクササイズのコツは「楽しく楽にやる」です。それでも最初は筋肉痛が出ます。痛みが強いときはロキソニンなどの鎮痛消炎剤を服用した方が早く楽になります。
仙骨に回転を与え「何か?」が眼を覚ましている状態では、滅多なことで副作用などおきません。仙骨に回転を与え続けると、仙骨自身が回転を創りだしているのがわかります。こうなるとかなりスピーディーになります。次回の稽古でさらにわかりやすくプレゼンできそうです。
仙骨が右に左に滑らかに回転している
「何か?」が眼を覚まし満ちてゆく
自分と言う領域を「心身運」と呼ぶなら
心身運に「何か?」が充ちてゆく
怖れや不安の根っこにある「もうひとつの何か?」が
心身運から
遠く遠くに離れてゆく
遠く遠くに離れた もうひとつの何か?を≪黄泉≫と呼ぶ
黄泉があるから
誰かの悲しみが理解できる
よりそえるんだ。。。
黄泉が遠くに遠くに離れると
優しく優しく輝く
慈愛がおこるんだ
このとき人は
誰かと。。。優しい時間を過ごしている
何か?と何か?
ここに人としての営み「関係性」がある
人間と言う神話
そっと誰かに寄り添えるのは、その痛みや悲しみが見えるから。痛みや悲しみが見えるのは、痛みや悲しみを知っているから。
痛みや悲しみを知っている光が「月明かり:ツクヨミ」なんだと理解すると神話になる。アマテラスが仙骨(中央)で輝き、離れた場所でツクヨミが優しく微笑む。わくるない「人間」と言う神話だ。
2月27日18:00~(株)Amour主催ワークショップ申し込み先
フェイスブックに登録してある方は
こちらにもあります
申し込み先はこちらになります
ご登壇いただいた吉野太氏。
その後『続きが聞きたい』『あの方は、何者?』と
あまりにもお問い合わせが多いので、
ご無理を言って、またご登壇いただく運びになりました。
見て説明してくださる『それ』はとても学びになります。
以下 吉野太先生より。
わたしとは何か?
自分とは何か?
肉体が消えたあとに残るモノ
そこにわたしはある
ここから生きることを感じ直してみる。そんな不思議な感
冠光寺眞法セラピスト
物理学者 保江邦夫に師事
吉野 太
企画 株式会社AMOUR
連絡先amour.inc2014@gmail.com申込みはメール、フェイスブック で
のみ受付ております。
場所 タワーホール 3階 303号室
参加費 5000円
懇親会は船堀駅近くで考えてます。
お振り込み先
株式会社Amour
東京東信用金庫 鹿骨支店 普通
口座番号3455921
必ずお申し込みいただきましたお名前で
お振り込みをお願いいたします。
領収書の必要な方は、当時受付にて
お申し付けください
仙骨セラピーまとまってきました
仙骨を回転させると「意識の状態」が変わります。
生きているとは「わたしであることに納得したい!」
仙骨に回転を与えると、良い意味でわたしが下がり「何か?」
わたし…という個人にとって
優しい時間は大切な時間です
What I am
「何か?」から動いている自分を感じる。
目的成就のために仙骨を回転させる
この行いは不安や怖れに翻弄される個人にとって、とても優しい行いになります。人によっては1週間~2週間の継続で自己のポテンシャルが変化するのを体験できるはずです。仙骨セラピーは「迷える個人に優しい行い」となるようです。私たち個人はいつも「何か?」に愛されている。こんな神話を信じることも、人生を豊かにする一助と思われます。
冠光寺眞法 輪の風
マナー
師が弟子に伝えたいモノ、それは「マナー」のようです。マナーは師を見つめ続けていると「現れ」ます。言語ではなく「バイブレーション」これが師から弟子に伝えられている「マナー」のようです。仙骨の回転により、このことがリアルになりました。
仙骨セラピーは未知数です
仙骨セラピー。腰椎・股関節・膝関節・顎関節がぼろぼろの人にも著しい変化が起こりました。目的意識を持ち仙骨に回転を与える。これだけで驚異的なことが心身に起こる。仙人の骨と書いて仙骨。この可能性は未知数です。ーーー30日 11:30~14:30 輪の風ワーク仙骨セラピーを習得しよう! 7000円ーーー昨年開催した株式会社Amour ありがとう忘年会で
ご登壇いただいた吉野太氏。
その後『続きが聞きたい』『あの方は、何者?』と
あまりにもお問い合わせが多いので、
ご無理を言って、またご登壇いただく運びになりました。
見て説明してくださる『それ』はとても学びになります。
以下 吉野太先生より。
わたしとは何か?
自分とは何か?
肉体が消えたあとに残るモノ
そこにわたしはある
ここから生きることを感じ直してみる。そんな不思議な感
冠光寺眞法セラピスト
物理学者 保江邦夫に師事
吉野 太
企画 株式会社AMOUR
連絡先amour.inc2014@gmail.com申込みはメール、フェイスブック で
のみ受付ております。
場所 タワーホール 3階 303号室
参加費 5000円
懇親会は船堀駅近くで考えてます。
お振り込み先
株式会社Amour
東京東信用金庫 鹿骨支店 普通
口座番号3455921
必ずお申し込みいただきましたお名前で
お振り込みをお願いいたします。
領収書の必要な方は、当時受付にて
お申し付けください
愛の発電機
愛の発電機というストーリーは個人に安心をもたらす
愛は発電できるモノ
障害のある人の自立と社会参加を進めよう-政府広報: PR
愛が足りているという感覚
個人にとって重要なことは「愛が足りているという感覚」だと思えた。愛が足りているという感覚から起こる思考は優しい時間を創造する。
それはそれでしかなく、それに意思はないと断定した。意思は無い、即ち判断が無い。パワーはあるが判断は無い。それしかない場所では「パワーはあるが反応が起きない」と断定した。
個人には意思がある、しかしパワーが無い
それにはパワーがある、しかし意思が無い
人間が体験している現実はシンプルな意思により決定されていると思えた。個人が愛が足りていると感覚していると、その意思にそれが反応してパワーが作用して「愛が足りていると言う現実」を創造する。だから個人が愛が足りていないと感覚していると、その意思にそれが反応して「愛が足りていないという現実」を創造する。
このストーリーは絶対ではないが、人生の質を高めたいと習性として思ってしまう個人には「きっかけ」になると見えた。
愛している
この言葉が現れるのは「愛が足りていると言う感覚」が土台にあると見えた。個人が幻想だと理解できた個人「仮有」は、あなたと私であることが奇跡に見える。わたしはまぼろし、本来存在しないモノ。あなたもわたしもただのエネルギーなのに、愛について語り合っている。
個人は奇跡だ
ほんとうは何も起きてないけど、何も起きないけど、個人に限定すれば「愛が足りているという感覚」は大切だと見えた。