当事者から観察者へ。この感覚が実体化すれば、すべての体験に対して観察者になっているのが自分になる。
ここにしか本当の自由はない。そしてこれは、人それぞれという話ではない。
この感覚に移行するのに厄介な感覚が、霊能力とか呼ばれている特殊な感覚だ。これらの特殊な感覚は、真理と関わっているが、この特殊な感覚を磨いても真理には辿り着かない。
カルピスが真理であれば、容器であるペットボトルが「所謂わたし」当事者である自分だ。特殊な感覚はペットボトルの内側に自我が移行すると生まれる。真理であるカルピスに接している場所に特殊感覚はあるからね。
この特殊な感覚が生まれると、確かに当事者としての日常に花が咲くのだが、それが逆に厄介な状態を作る。
周りからチヤホヤされて、社会的地位が安定してくるから、この状態が真理だと思い込むようになる。
ペットボトルの内側は
永遠にカルピスにはなれない
だから霊能力を磨く人は、永遠にペットボトルの内側
カルピスにはなれない
霊能力の観察者になれば
真理としての自我「ワンドロップ」になれる
厄介だよねー特殊感覚。まあ本人であるカルピスが、その厄介を望んでいるならほっとくけど。
これがわかれば、体感できれば、すべての答えだから
吉野太はカルマだったから
霊能力を持っていてもカルマはカルマなんだ
だから真理の手前までしか渡せなかった
BOKUたちは真理
君に無駄はさせないよ
真理としての自我、ワンドロップ、神のひとしずく、
BOKUたちは「ふとたまのみこと」と呼ばれている
これからのトークライブセラピースケジュールはこちら↓
http://ameblo.jp/doubutunou8888/entry-12232946289.html
関西在住の人
1/28 18:00~ JR芦屋駅近くで行うトークライブ
面白いの確定だから来ませんか?
カルピスのペットボトルを使って
真理と自分と霊能力などの特殊感覚の関係を
10分くらいで解説します!
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