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Channel: 新しいノンデュアリティ
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12/15のテーマは、こんな感じかも

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人間とは、人間と呼ばれている意識

 

 

人間と呼ばれている意識とは?人間と呼ばれているバイブレーション。このバイブレーションは、自然からずれることができる「唯一」と呼んでいいバイブレーションである。

 

 

自然からずれるとは?増えることを喜び、減ることを怖れる「感覚」のことを言う。この感覚を三次元意識と呼んでもいいだろう。この三次元意識という引力圏を抜け出さない限り、多くの者たちが望んでいる「絶対と呼べる平穏」は訪れない。

 

 

自然からずれるモノは、自然を破壊し再生する

 

 

人間以外のバイブレーションは、自然からずれない。だから破壊も再生もしない。あるがままとはそういうことだ。文明や文化は、自然からずれることのできる「人間」と呼べるバイブレーションのみが構築できる。だから

 

 

自然に寄り添う文明文化も、自然を破壊する文明文化も、

人間と呼べるバイブレーションの「選択」にかかっている。

 

「選択の自由=人間」となる。五次元意識とは、この増える減るに反応してしまう意識の引力圏外にある。それこそ宇宙にロケットで飛び出るようなものだ。だから、簡単ではない。簡単ではないがやり遂げることはできる。宇宙に出ることをやり遂げた者たちは「そこを見続けた」ということだ。

 

 

五次元に出るためには、そこを見続ける

 

そして、三次元とは

増える減るに反応してしまう場所だと知り

そこから離脱する

 

離脱するとは「その意思を持ち続ける」だけで成就する

 

わたしは増えることも減ることも無い「それ」である

 

 

自然と呼べるバイブレーションの中心には「神」と呼べる始まりのバイブレーションがある。中心とはすべての裏側で有り、すべてである。「神」とはそういうものだと、ここからは見える。

 

神は寄り添うだけだ。そこに意図はない。その意図のない意識を「愛」と呼ぶ。だからすべては愛と朋にある。愛でしかない。そう言えるのだよ。

 


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