人間とは、人間と呼ばれている意識
人間と呼ばれている意識とは?人間と呼ばれているバイブレーション。このバイブレーションは、自然からずれることができる「唯一」と呼んでいいバイブレーションである。
自然からずれるとは?増えることを喜び、減ることを怖れる「感覚」のことを言う。この感覚を三次元意識と呼んでもいいだろう。この三次元意識という引力圏を抜け出さない限り、多くの者たちが望んでいる「絶対と呼べる平穏」は訪れない。
自然からずれるモノは、自然を破壊し再生する
人間以外のバイブレーションは、自然からずれない。だから破壊も再生もしない。あるがままとはそういうことだ。文明や文化は、自然からずれることのできる「人間」と呼べるバイブレーションのみが構築できる。だから
自然に寄り添う文明文化も、自然を破壊する文明文化も、
人間と呼べるバイブレーションの「選択」にかかっている。
「選択の自由=人間」となる。五次元意識とは、この増える減るに反応してしまう意識の引力圏外にある。それこそ宇宙にロケットで飛び出るようなものだ。だから、簡単ではない。簡単ではないがやり遂げることはできる。宇宙に出ることをやり遂げた者たちは「そこを見続けた」ということだ。
五次元に出るためには、そこを見続ける
そして、三次元とは
増える減るに反応してしまう場所だと知り
そこから離脱する
離脱するとは「その意思を持ち続ける」だけで成就する
わたしは増えることも減ることも無い「それ」である
自然と呼べるバイブレーションの中心には「神」と呼べる始まりのバイブレーションがある。中心とはすべての裏側で有り、すべてである。「神」とはそういうものだと、ここからは見える。
神は寄り添うだけだ。そこに意図はない。その意図のない意識を「愛」と呼ぶ。だからすべては愛と朋にある。愛でしかない。そう言えるのだよ。