「わたし」=自我
これを心や身体運命の所有者から解放して見えてきたこと。「もし心がわたしそのものなら、心を心と認識することは不自然だ」という感覚。この感覚を持ち見えてきたこと。悲しみと怒りは関係性を持っていない。悲しみは悲しみとしてのみ存在している、怒りもそう。そこに「自我という感覚が介入すると悲しみと怒りに関係性があるように解釈」してしまう。この自我を「所有者」と呼ぶ。
自我は関係性を司る器官だ
「わたし」とは
関係性を体験するために用意された「場所」だ
所有者として存在している「わたし」は、心や身体運命を自分そのものだと思い生活する。所有者は「ジャッジ=比較」という習性を持っている。比較から関係性を構築するのが「所有者」だ。こういうことも見えてきた。
自我が一感覚に過ぎないと理解した自我を「観察者」と呼んでいる。観察者とは「全体」のことだろう。ここでは全く違う心や身体運命との関係が築かれる。またしばらく体験を続ける。
2月20日 12:30~14:30 2時間枠の輪の風ワーク 5500円
2月27日(株)Amour主催ワーク「わたしってなあに?運命とわたし」
3月13日 大久保の橋本歯科医院セミナールーム
3月12日 福田と吉野の仙骨会議 清澄白川
3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
2月20日 12:30~14:30 2時間枠の輪の風ワーク 5500円
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