わたしがわたしだけになる。魂と言うならこの状態かも。魂が運命に飲まれている。これが苦しみ。運命には名前がついている。ぼくの場合なら吉野太。わたしがわたしだけになる。運命は運命のまま流れるようになる。運命は安心する。
今日はこんな感じです
神経学では自我と他の感覚は並列であると捉えているようです。自我は管制塔ではないようです。だからリーダーでも無い。ただ自我は直ぐにリーダーになろうとする。痛みや喜びを統制したがる。
個人とは、リーダーをやめられない自我を指しているのかもしれない。個人ではなく「わたし」。わたしがわたしだけになる。そうするとわたし以外の感覚がすべて「運命」に見えてくる。運命はわたしじゃない、わたしと並列に並んでいるもの、それが運命。
痛みも運命、苦しみも運命、喜びも希望も運命、
だからわたしじゃない
わたしは運命と並んで浮かんでいる。。。ただのわたし