仙骨を意識し続けているとわかることがある
自我はリーダーではない
自我は他の感情や感覚に対して
あたかも自分がリーダーであるかのように行動する
そういう習性にあるようだ
この習性が「ゲーム」かもしれない
わたしの悲しみ、わたしの苦しみ、わたしの喜び、
わたしの病気、わたしの運命、
わたしが他の感覚を所有している状態を「エゴ」と呼ぶ
そういう電気信号が起きているようだ
だから、エゴという現実を体験する
わたしと悲しみ、わたしと苦しみ、わたしと喜び、
わたしと病気、わたしと運命、
このように他の感覚とわたしが並列であるとき
電気信号は「愛」という状態になっている
この基盤となる並列が「わたしと仙骨」
この感覚にあるみたいだ
現実は
わたしを他の感覚のリーダーにしてしまうのか?
他の感覚と並列に置いておくのか?
こんなシンプルなことで決まっているようだ
冠光寺眞法と仙骨
福田君とのコラボ 3月12日17:30~20:00 清澄白川
2月27日18:00~船堀 (株)Amour主催ワーク
↧
自我はリーダーではない「わたしと仙骨」
↧