溝口あやかさんともメッセージのやり取りをさせてもらったんだけど、どうも非二元は全体性とも違うみたい。
人間も人格も現れでしかないから、自分と自分は二元になるみたい。
全てが現れ
これってね。人間性という観点から眺めると「相手を見てない」んだ。非二元は相手も自分も居ないんだもの。
だから、「そのあなたが居ないのです」という返答になる。
もし全体性のぼくが指している「人間性:大切にされているを相手に感じてもらう」を非二元が持っていたら
本当に苦しいですよね。わかります。ひとつ提案なのですが、その苦しんでいるあなた自身がただの現れだと、感じてみる気はありますか?
それを感じることができると、きっとあなたは体験したことのない解放を体験することになります。
どうでしょう、試しに体験されてみては。逃げてしまいたいくらい苦しいときが、非二元という解放を体験するチャンスです。
この解放は全く質の違う解放になります。これからまだ続く人生が、なんら妨げのない自由なものになります。そこが世界の真実だからです。
このくらいは言ってやれよ!と、全体性のぼくは思った。だから非二元はパスする。要らない。都合良く現す。
この都合良く現すって感覚がずれていると言われても気にしない。人間性としてはズレてないもの。
おわり
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非二元は相手を無視する対話になる
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