因果はめぐる
因果の仕組みを痛感してます
ぼくは自分を外すことで透明になり重さが無くなれば
愛そのもになると思っていました
でもそれでは、この常識の世界で痛い想いをします
誰かに自分の意思を伝えるということは
因果を結ぶということのようです
この常識の世界で誰かに意思を伝えるとき
最も重要な要素は温度なのかもと実感しました
その伝達は相手の温度を奪わないかい?
自我は
意識の温度がどうしても下がる設定にある
でも「いのち」は
いつもポカポカの太陽としてそこにある
いのちでふれよう
いのちで応えよう
透明であることや、重さがないことも、大切だけど
それ以上に誰かの温度を奪うような意思伝達をしていないか?
温度を流せるような受け方をしているか?
こういうことが
ほんと大切なんだって腑(不随意筋)に落ちました
まだまだこれからのようです
お日さま先生に戻ったのですから
ポカポカの因果を結ぶ存在であろうと
強い痛みと、感謝溢れるぬくもりの中で味わっている
「いまここ」です