不随意筋に常に自我を置くと
ほんとにゆったりと対応できる
これは愛せていることに確信が持てるからだろう
分離している今だから味わえる「自身が発している愛」が
相手という設定の場所に確実に届いている
ここに全く隙がないほど確信が持てる
「愛魂:あいき」と保江先生が命名したシステムが
これほどのものだったとは。。。
それを知りもしないで、知ったような語らいをしていた自分が
ほんとに恥ずかしい
これから「この自分という設定」がいつまで持つのかわからないが
とにかく「いま」という「この場所」に専念して
一日も早く「存在として愛魂:あいき」にフィットできるよう精進したい