大和田菜穂さんには「しあわせ」という現れがあるだけで
「しあわせ」はないんだ。
そういう場所なんだ大和田菜穂さんは。
いわゆる人類じゃなくて、
新しいタイプなのか?本来のタイプなのか?
「私は…」が主体から消えない限り
行けない場所。
大和田菜穂さんのは精神力じゃないよね。
それしかないんだ。
だから「それしかない」になるのか?
なるほどー。
やっぱりぼくはパスだな、趣味じゃないもの。
主体を常に全体性にしておくのは趣味じゃない。
使いたいときに使うほうがいい。
というとまた違うと言われるんだろう…永遠だ
ただね、隣に行ったら完璧な愛魂を感じた。
全体性が隣に居る。
ぼくも全体性だけど、ぶれない全体性と揺らぎの全体性、
この表現も違うなー。
「それしかない」は完璧だ!
やっぱり全体性にならないと表現はできない。
全体性になると「それしかない」になってしまう。
他は表現できなくなる。
みんなが「それしかない」になった世界は
完璧になるから変化しなくなる。
変化がないと時間が消失する。
時間が消失したら
いまも、ここも、消失する
たぶんこれが「世界の終わり」だ
大和田菜穂さん現象は、
世界の終わりを現にしている。
と、いうこと?
やっぱり趣味じゃないよー、ありがとう!
でもその存在感空気感は
主体を更にシンプルにしてくれた
興味が湧いたら交流するといい存在
何かが自分という捏造の主体に
科学変化を起こしてくれる
何か?
それが大和田菜穂さんとして現れている正体
「それしかない」なんだろう。
違う?
まあ違ってもいいや!
楽しいから
昨日もありがとうございました!
v(^_^v)♪