バイブレーションが
決められた領域で合わない限り
何事も手に入らない
エネルギーは常に満ちている
接触不良が原因であり
必要エネルギーは常にある
植物呼吸になるとこういう見解になる。「手に入れる」という意識反応は動物呼吸だから、いやでも勝ち負けになる。だから独占もあるし失う恐怖もある。強い意志は動物呼吸に属する。
動物呼吸は戦争がやめられないんだ
やめたい気持ちはいつでもあるのにやめられない
意識と自我が食い違う
これが動物呼吸と言う設定なんだ
無意識レベルで自己不信が産まれてしまう
これが動物呼吸なんだよ
動物呼吸がスリルなら、植物呼吸は癒し。楽しみ方が違う。いまのぼくに「手に入れる」という能動はない。あるなら「バイブレーションを合わせてみよう!」という能動。
植物呼吸は「意識と自我を合わせること」を無意識に行っている。だから自我がのびのびしてくるんだよ。無意識レベルで自己信頼が起きるんだよ。
能動だけど動物呼吸のそれとは違う。老師が唱えていたとされる無為自然って感じに似てる。無為自然よりは能動的。こっちの方が面白く感じるから。
植物呼吸人間は、こんな感じになると思うよ。
ターミネーター見てきたんだ。この映画は1人1人が多次元に存在していて、次元が違えば全く違う人生、全く違う人格として存在している。でも感覚として何かが繋がっている。それを魂というのかもしれない。
多次元に存在している無数の自分が
「ひとつの魂」を共有し、常に響き合っている。
こんな映画だった。