悟りを開くとはどういうことか?
フィジカルから眺めるようになりこう捉えるようになった。悟りとは「普遍なる自己信頼に至る」こと。悩み苦しみとは「自己信頼が揺らぎ産まれてくるもの」である。自己信頼が揺らがないとき、思考は常に希望を見いだせるので、いわゆる悩み苦しみには至らないのだ。
思考は円運動
悟りはその中心点となるモノ
すなわち「考えて理解する」このスタンスでは円運動の領域なので、どれほど修練しても悟りには至らないことが分かる。
円運動の場所に悟りは存在しない
悟りは円運動の中心点に位置するので、思考ではなく「体感」で会得するモノとなる。普遍なる自己信頼は体感でしか会得できないと言える。体感で会得するために続けるとよいことが「鼻呼吸」であり、背骨に「反る」という意識を忘れさせない習慣である。
1000日続ける気持ちで臨む!
特に鼻呼吸は「鼻で吸って鼻で吐く」を徹底すること。「口では一切呼吸しない!」この明確な意思が必要となる。鼻呼吸で歩くと、鼻呼吸の上達具合が手に取るように分かるから試すといい。
背骨の「反り」は、腰に手を当て海老ぞる。こうすることで「反る」と言う余韻を背骨に残し生活を続ける。余韻が消えそうになったらまた反る。この繰り返しでいい。背骨が常に「反る」という意識を感じていると「折れない心」が出来上がる。これも1000日修行と思い続けると、早い人は30日で明らかに体感できる。
鼻呼吸も、背骨を反るも、1000日修行と思い続けると30日~50日で「明らかな変化」を体感できるだろう。「集中力が安定する」「挫けなくなる」明らかな変化として体験できるだろう。この1000日修行は1000日に近づくにつれ「楽しくてうれしくて最高に優しくなれる体験」を続けることになるので1000日回峰行のように「死に向かって行くような感覚」とは真逆の修行となる。
乳粥はうまかろう。。。という修行だ
これを個人セッションやワークショップで伝達してゆく。これならば言葉がまとまれば書籍化してもいいと納得した。自我が中心点に来ると言うことは「宇宙と一体になる」ということだ。有限でありながら「無限になる」と言うことだ。こう言ったスピリチュアルな体験をこの1000日修行に励めば「普通の言葉で伝達できるようになる」んだ。
口では絶対に呼吸しないで
鼻だけで呼吸をつづけると若返るのよ!
疲れなくなるのよ!
とか
背骨をね「反る」の
背骨に反る力をもたせるの
そうすると心が折れなくなるんだって
試してみたら
とか
スピリチュアルを持ちださずにスピリチュアルのど真ん中を伝達できるんだ。これって無為自然なことだね老子さん。あとは経験。伝達経験。積み重ねるよ。これがぼくの1000日修行。自己不信を振り払えないのは「思考で振り払おうとしてるから」。思考では自己不信は振り払えない。だって自己不信は中心点にあるのだもの。
どう?フィジカルから取り組む「考えなくてもできる悟り方」興味出てきた?
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思考は円運動、悟りは中心点、考えなくてもできる悟り方
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