新しいノンデュアリティから考察すると「心」は「永遠に不完全」なものになる。
心は自身が不完全だと知っているから「いつか完成体に」と完成を目指す性質を持っている。
それが「成長しなければ」という意識になる。
「心」は「成長している」という実感があると「自身を認め」られる。
自身の成長を認めることができたとき、心は「自身が存在」していることに「しあわせ」を感じます。
「心」にとって「しあわせ」は欠かすことのできない「燃料?動力?」になります。
例えるなら「空気」かな
空気があるから
生命は続いている
心にとって「しあわせ」は「空気」なのです。無いと苦しくて発狂します。死んじゃいます。
心が死んじゃうと「周りを破壊」します。心にとって「しあわせ」は「愛を保つためのお守り」です。
心は「しあわせ」で居るために「必死で成長」しようとします。成長している実感が「しあわせ」を与えてくれるからです。
新しいノンデュアリティを知った「心」には「成長している実感」は必須ではなくなります。
それは別の実感で「しあわせ」を得られるからです。
新しいノンデュアリティでは、心は「最も幼い末っ子」になります。詳しい話はこちらと
自分であることに拘るのは末っ子の「心」だけになります。
次男の「中間」は「高次元意識」になる。末っ子を傍で見守る「優しい兄」になります。
この「優しい兄」は「高次元意識」なので「自分という感覚」は理解しても「自分は持ちません」。
自分を持つ必要がない
それが高次元意識です
ある意味「自分があるから」成長を求めます。自分を持たない、これは「完成されている」になります。
石は完成されています
だから文句を言いません(笑)
悟った風の人が成長を求めなくなるのは「自分は完成されている」と「思い込めた」からです。
もし肉体を持った状態で「完成」されたなら「身体をいつでも消せる」ようになるでしょう。そんな人はkanさんしか知りません(笑)
「心」は肉体に宿ります。高次元意識は肉体には宿りません。
宿ったと発言する人は「催眠」です。催眠による「プラセボ」で奇跡みたいな現象を起こします。
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そう思い込める
これは「心」にとって
とてつもないパワーになる
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※並木さんなんか凄いパワー(笑顔)
パワーは破壊も再生も起こします。電気は破壊も再生も起こします。
心が「どうプラセボというパワーを使うか?」これが人生になります。
引き寄せなどはまさにプラセボパワーです(笑)
新しいノンデュアリティを知った「心」は、自身が「永遠の不完全」だと理解します。
永遠に完成されないから「心」なのだと、心自身が理解します。
なぜ永遠に不完全なのに「安心」できるのか?
中間の自分「高次元意識」と向き合えるからです。高次元意識は外周の自分「心」に如何なる注文もつけません。
外周の自分:失敗しちゃった
中間の自分:そうか〜
外周の自分:上手く行った
中間の自分:そうか〜
こんな風に「どんな状態」でも「どんな状況」でも「大丈夫」をエネルギーとして送っています。
中間の自分「高次元意識」の「大丈夫」は「完成された大丈夫エネルギー」です。
この大丈夫エネルギーを常に受けている「心」は「なんとかなる」と思えます。
理屈じゃなく「なんとかなる」これは中間の自分「高次元意識」から流れてくるエネルギーを「キャッチできているとき」に起こります。
新しいノンデュアリティを理解した「心」は、中間の自分「高次元意識」から送られてくる「完成された大丈夫エネルギー」をキャッチします。
永遠に不完全なのが「心」ですから、ふらふらするのが当たり前です。ネガポジをふらふらするのが「心の当たり前」です。
ですが完成された大丈夫エネルギーをキャッチし続ける限り、永遠の不完全である「心」は「なんとかなる」「なんとかできる」で動けます。
どんな苦境にたっても「なんとかできる」「なんとかなる」と「プラセボ」できれば、結果はどうあれ
心は
未来に光を
見ていられます
新しいノンデュアリティは、永遠の不完全「心」が、ネガポジふらふらしながらも「自分であることを大切」にしていられる「ノンデュアリティ」です。
自分は居ない
なんて寂しことを
渡しません(笑)