前回ブログに載せた○○さんの考察はわかりやすい。ぜひ目を通してもらいたい。
阿部敏郎さんや雲黒斎さんが、よく話していた「doよりbe」どう行動するかより「どう在るか」が物事の結末を決めている。
ゆたかに生きるためのノンデュアリティから考察しても「本当にそうだ」の話になる。
コミュニケーション
他者との向き合い方
ある意味、コミュニケーションに不安がない人は「自分に不安がない人」になる。
自分という在り方が定まっていないから、コミュニケーションに不安がある。
ゆたかに生きるためのノンデュアリティでは「この在り方」が、桁違いに安定する。
在り方は哲学ではなく
位置決め
自分と呼べる意識の位置決めが定まると、在り方は安定する。
並木さんや、さこ先生、はせくらさん、矢作先生、保江先生、makoさん、山川亜希子さん、
みな「自分という位置決め」が安定していた。即ち在り方を「哲学」にはしていたかった。雲黒斎さんは在り方を哲学にしているように見えた。だから不安定に見えたのだろう。
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私は「こういう者」だ
ではなく
私は「ここに位置する者」だ
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これに「確かに!」と頷ける人は、コミュニケーションが安定している。
ゆたかに生きるためのノンデュアリティは、自分という位置付けを「中心の自分、中間の自分、外周の自分」という「三体」からなる「集合体」と位置づけている。
ゆたかに生きるためのノンデュアリティでは「心」は「三兄弟の末っ子」みたいな位置づけだ。
心は、次男である「中間の自分」や長男である「中心の自分」が見えなくなると暴走する「幼い末っ子」になる。
中間の自分や中心の自分に「支えられている実感」があるとき、外周の自分「心」は「存在していること」を謳歌する。
外周の自分「心」には「それぞれ」と言える明確な個性がある。だから「心」には、大いに個性を活かし「存在していること」を楽しんでもらいたい。
考え方は
位置づけから発生する
doよりbe
自分であることを哲学すると
永遠の不安が伴走する
あなたの心の位置づけは?
