今日は、ノンデュアリティから考察した「自分」を文字にしてみましょう。
一般的なノンデュアリティでは「自分は居ない」と表現されています。これは「真実」です。
真実なのだけど。。。
真実が「救い」になるとは限りません。真実は「心に苦しみをもたらす」ときが多々あります。
心には「救いを求めてしまう性質」があります。心には「他者と認識」する性質があります。
だから「○○さん」と認識したとき、それは「心が発した認識」になります。
ゆたかに生きるためのノンデュアリティでは「自我」を「物言わぬ目」と設定してあります。「物言わぬ目」は名称通り「観察するだけの目」になります。
観察するだけだから「感想も意味づけもしない」だから「他者という認識がない」
自我である物言わぬ目に他者は存在しないのです。
これが「ゆたかに生きるためのノンデュアリティ」の「自我」になります。
観察だけする目には「この世の様々な事象」は「起きていることが起きている」になる。
起きていることが起きている
起きていることは幻
あるけどない泡沫
一般的なノンデュアリティが表現している世界観になります(笑)真実の捉え方は「これしかない」となります(笑)
これを「あなたの心」がすんなり理解できたなら、一般的なノンデュアリティは「あなたの心の救い」になります。
一般的なノンデュアリティが示す「普遍の真実」は、あなたの救いになりました?
私(こちらの心)には救いにならなかった。だから「ゆたかに生きるためのノンデュアリティ」を開発しました(笑顔)
物言わぬ目は「私」と表現しません。物言わぬ目は「自分」と認識することがありません。自分と認識しているのは
心です
心だけです
ゆたかに生きるためのノンデュアリティでは「自分」と定義するとき「ふたつの定義」を用います。
自分とは認識しない「自我=物言わぬ目」を「中心の自分」と認識します。
そして「私は私だ。私には意味がある」と表現したがる「心」を「周りの自分」と認識します。
中心の自分が「空」なら、周りの自分が「色」になる。色即是空空即是色です(笑顔)
心=周りの自分が、自分であることにこだわり、自分であることの意味を知りたがり、自分として生きることを求めます。探求します(笑)
これが「苦楽」です。苦楽を味わうのは「周りの自分=心」のみということです。
ですから「中心の自分=物言わぬ目」を「自我」と設定してあると、「心が味わう苦楽」は「まぼろし」になります(笑)
心と自我をわけられたら
色と空をわけられたら
ゆたかに生きるためのノンデュアリティが始まります。苦楽を幻と認識する人生が始まります。
色即是空空即是色も、ノンデュアリティも、素領域理論も、「苦楽を幻」と認識して「私であることにこだわる心」が「人生を謳歌」するための
エッセンスです
