一般的に人間は「心」を「自我の中心」に置いている。
心が自我の中心だから「楽しい」や「苦しい」が「存在していることの中心」になる。
ノンデュアリティを受け入れた心は、自我の中心に「全てはあるけどない」が入る。
苦しいも楽しいも「あるけどない」と理解するのがノンデュアリティになる。
しかし殆どのノンデュアリティ支持者は「心を自我の中心」にしたままノンデュアリティを理解し実践しようとする。
ここにノンデュアリティが安定しない原因がある。
心のみが理解を求める。だから心がノンデュアリティを理解することは大切。
理解することは大切なのだけど「心が自我の中心」のままだと「理解はできても安定しない」これが事実。
心はノンデュアリティを理解します。ノンデュアリティの素晴らしさを理解します。理解するので「そのように実践」します。
実践しますが「自我の中心」に居たままでは「ノンデュアリティを実感し切れないのが事実」です。
自我の中心は「目」です。ただ見ているだけの目が「自我の中心」です。
この感覚?世界観?を心が受け入れると、心は中心を「目」に譲ります。
心の目的はなんでしょう?
心の目的は「しあわせであること」です。全ての心の目的が「しあわせであること」です。
確かに「しあわせの定義」は、心によて違います。好みではありませんが「他者を支配する」ことを「しあわせと定義している心」もあります。
ただ大半の心は「他の心とのしあわせの共有?共鳴?」を望んでいます。ここに「この世界の救い」があります。
心を自我の中心から救出できるのが「ゆたかに生きるためのノンデュアリティ」になります。
哲学?作法?やり方?としてはシンプルで
自我はただ見ているだけの「目」
この「目」が自我の中心
心は自我のサブ要素。楽しいや苦しいなど「ドラマを自我に体験させる」サブ要素。決して中心ではない。
この世界観を「心に理解」させれば「心は中心から離脱」できる。
さて、この記事に訪れた稀少なあなたは「心の位置」をどこにする?(笑顔)
あなたの人生は
あなた次第です(笑)
