今朝バルコニーにカナブンの死骸があった。
今まで「こんなこと」思ったことがなかった。
死んじゃうと
ただの物体だな
死とは「意思が抜けた状態」だから睡眠時は「死ではない」
カナブンだから「意思が抜けた」と表現したが、人間であれば「心が抜けた状態」を「死」と呼ぶ。
今までは亡骸を見て「心が抜けている」と思ったことがない。心が身体に連動しなくなっただけで「心と身体は繋がっている」と認識していたのだろう。
現在ボクは「心は心、自分は自分、思考は思考」と分けて認識している。この意識で亡骸を見たら「どう反応するか?」興味がある。
亡骸を物体と見るのか?
あ、人間だけは違うんだ
と思うのか
不謹慎かもしれないが正直に興味がある。たぶん不謹慎ですからサイコパスと思い流して下さい(笑)
ボクは収入を「相談者の心がポジティブに戻る手伝い」で得ている。
心はマイナスエネルギーとプラスエネルギーがマーブルチョコみたいに入り混じっている。グレーになることがない混ざり方(笑)マイナスはマイナス、プラスはプラスだ。
ゼロは?消失だ
マイナスとプラスのバランスが、ポジティブやネガティブを創作している。
人間の心は基本ネガティブ。これは事実として認識している。だから心を自分と思い込んでいる限り「自我は基本ネガティブ」です。
ノンデュアリティを認識すると「自我は心を他者と認識」する。完全なる俯瞰になる。
自分は根源で「あるけどないもの」だから「見てる」って感覚もおかしいのだけど(笑)あるけどないからOKだ。
ノンデュアリティを生きている心は「設定として心にあるネガティブ」に「対応する」ようになる。
ネガティブに対応できる心は「ポジティブというバランス」を保つ(笑)だから「自我が自分らしさ」を見つける。
自分らしさは「ネガティブに対応できる心」にならないと見えて来ません。
眼前の現象に悩んでいる状態では「自分らしさ」は見えません。

今日は心が石丸さんを離れた(笑)TVタックルに出演するから、また騒ぐのか(笑)騒いだら表現に付き合おう。
深田萌絵さん?藤川さんと対話してたけど「好きじゃないタイプ」と、心が反応していた(笑)