心は自分ではありません
これを受け入れるって
普通は無理だと思います(笑)
でも
もし少しでも受け入れられたなら
チャンスチャンスチャンス!!!
苦しみや迷いを根底から根こそぎ薙ぎ払えます(笑)
心は解釈を求めます
心は理解を求めます
心は納得したがります
これが「心」なのです(笑)
心を自分と思い込んでいる限り「心があなた」になったままです。心の性質が「あなたそのもの」になります。
心の性質が「あなたそのもの」になるので、永遠に「解釈、理解、納得」を求め続けます
「私」と「心」は別物です(笑)
「私」を素粒子とするなら、「心」は海になります。海は素粒子そのものです。ですが海を素粒子と認識する人の心は。。。ありません(笑)
これと同じです。心は海を素粒子とは認識しません。物理学者でも、海を素粒子とは表現しません。
なぜか?
心は物語を求めるものだからです
海も素粒子、山も素粒子、川も魚もイノシシも素粒子、なんて認識したら物語は生まれません(笑)
心は物語を求めます。心は解釈を求めます。心は理解を求めます。心は
納得を求めます!
海も山も素粒子だろ?じゃあ、心は納得できないのです(笑)
海には海成り立ちの物語がある、山には山成り立ちの物語がある、と、心は思いたいのです(笑)
私にも成り立ちの物語がある
心はそう思いたいのです(笑)
それが「心」です
ノンデュアリティは、物語は物語として楽しみましょうと気付いた先人が残した「情報」かもしれません。
ボクを構成している「心」は、ノンデュアリティが示す「ゆたかさ」を表現して、できれば共有者を増やせないかと願っているみたいです。
今年還暦ですが「ゆたかに生きるためのノンデュアリティ普及」にチャレンジしてみます(笑)
