クンルンのKANさんに聞いたことがあります
人は死後どうなるとKANさんは聞いてますか?と
そうしたらKANさんはこう応えました
新しい宇宙になるか、無に還るか、どちらかです
霊界は存在しますが、語られている多くのシステムはフィクションです
しかし劇中にある者にとってフィクションは真実です
ですからどこに自分を観るかで、観えてくるフィクションは違ってきます
それに人として生きているのですから
フィクションをどう捉え味わうかが重要です
人という立ち位置からはまさに、フィクションは真実なのです
わたしは生きている
この躍動なしに人を生きている意味は見出せないと
わたしはこのフィクションを採用しています
真理は物語りを物語りと理解することで観えてきます
生きることも同様で
物語りと理解できれば感情の浮き沈みを堪能できるのです
たそがれるのではなく制限された自分を堪能できるのです
わたしは生きている
これが棚にあげられる人生も自由ですが
わたしは採用していません
ですのでときにそのような方に出会うと
肩に手を置き揺さぶりたくなります
多少脚色はありますがKANさんの応えはこんな感じでした^^
相手によって返答(語り)が変わる
これは当然だとぼくも採用しています
だって「これが自分」と意識を置いてある場所が皆それぞれだからです
最近は「凹む」ここに着目しています
なぜ器になっているぼくは凹むのか?
どういうときに凹んでいるのか?
ここをつぶさに理解すると
最近凹んでねえな~。。。へと自然変換されるからです
生きていることを楽しめている
まさに観客を魅了する主人公になっているです
観客席はもちろん「悟った世界」
こちらに来る前の準備室です
よしのさんチャンネルを楽しんでいる「悟った世界の視聴者さん」のためにも
カットなしの本番ぶっつけ舞台ですから
やりきりたいと思っています
いまはこのフィクションを採用しています