自己が確立するまでに、
身近な大人にされたことを、
愛する行為
愛される行為
と深層の自我が認識するようです
ヒトの意識は三層にわかれています
・個人が存在する思考
・個人が存在しない思考
・思考が存在しない素粒子の世界
個人が存在する思考を【価値観】と呼びます。多くのヒトは、この価値観を【個性】だと認識します。
この価値観が心地良いと判断したことは「納得したプラスマイナス意識」なので一時しのぎ的に楽になるだけで、また落ちます。
これの堂々巡りをスピリチュアル情報にはまったヒトたちは続けていることが多いです。
この場所に留まる状態を【三次元意識=濃い分離状態】と呼びます。
ここで霊能力などを使い始めると【特殊感覚依存症】になります。この症状は、最初はとても優しい人物になるのです。
ですが、社会的に認知されて来ると豪華絢爛を示して行く。周りの存在を従えるような振る舞いに違和感が無くなる。優劣は無いと言いながら、優劣を示す愚者になります。
瞑想や修行をすると変性意識状態になります。変性意識状態で入る世界が【個人が居ない思考】です。
ここはアカシックレコードなどと呼ばれ、価値観とは比較にならないほど広大な思考領域になります。
全ての思考が存在します。全てのストーリーが存在します。無意識に発せられた全てのイマジネーションが蓄積された場所です。
多くの場合、この世界に入り込むと【世界を観た】と歓喜し、アカシックレコードの語り部となります。
ただ思考は、常に拡張している場所ですが、真の世界の3%に過ぎません。
真の世界は素粒子のみの世界です。ここにストーリーは存在しません。起承転結のプロセスは存在しません。
ただ素粒子が、動いているような、動いていないような、不思議な世界です。
死とは「ここを認識できる状態」だと、ボクは認識しました。
ですから死は、認識できないだけで常に起きています。死を認識することを「悟り」と言います。
ですから、もし悟れたら「神と一体になった」とストーリーが展開されるような表現はしません。壮大なストーリーはアカシックレコードの情報です。
もし◯◯◯さんが、ストーリーを変えることで過去の体験を離脱したのなら、もしかすると完全には離脱できていない可能性があります。
引きずる過去は『痛みへの恐怖』が起こします。
痛みへの恐怖は『ゼロ=死を認識する』以外、外すことは困難です。
ストーリーの変更による解決は『挫けない強さ』を育むことはできます。挫けない強さは深層にいつも痛みへの恐怖があります。我慢を磨くだけになります。
ここで納得しているヒトは、軽やかに健やかに、我慢の輝きを放ち過ごしています。
深層に重さがあるなら、ゼロを習得しないと、いずれまた挫けます。