悟りを開くとはどういうことか?
フィジカルから眺めるようになりこう捉えるようになった。悟りとは「普遍なる自己信頼に至る」こと。悩み苦しみとは「自己信頼が揺らぎ産まれてくるもの」である。自己信頼が揺らがないとき、思考は常に希望を見いだせるので、いわゆる悩み苦しみには至らないのだ。
思考は円運動
悟りはその中心点となるモノ
すなわち「考えて理解する」このスタンスでは円運動の領域なので、どれほど修練しても悟りには至らないことが分かる。
円運動の場所に悟りは存在しない
悟りは円運動の中心点に位置するので、思考ではなく「体感」で会得するモノとなる。普遍なる自己信頼は体感でしか会得できないと言える。体感で会得するために続けるとよいことが「鼻呼吸」であり、背骨に「反る」という意識を忘れさせない習慣である。
1000日続ける気持ちで臨む!
特に鼻呼吸は「鼻で吸って鼻で吐く」を徹底すること。「口では一切呼吸しない!」この明確な意思が必要となる。鼻呼吸で歩くと、鼻呼吸の上達具合が手に取るように分かるから試すといい。
背骨の「反り」は、腰に手を当て海老ぞる。こうすることで「反る」と言う余韻を背骨に残し生活を続ける。余韻が消えそうになったらまた反る。この繰り返しでいい。背骨が常に「反る」という意識を感じていると「折れない心」が出来上がる。これも1000日修行と思い続けると、早い人は30日で明らかに体感できる。
鼻呼吸も、背骨を反るも、1000日修行と思い続けると30日~50日で「明らかな変化」を体感できるだろう。「集中力が安定する」「挫けなくなる」明らかな変化として体験できるだろう。この1000日修行は1000日に近づくにつれ「楽しくてうれしくて最高に優しくなれる体験」を続けることになるので1000日回峰行のように「死に向かって行くような感覚」とは真逆の修行となる。
乳粥はうまかろう。。。という修行だ
これを個人セッションやワークショップで伝達してゆく。これならば言葉がまとまれば書籍化してもいいと納得した。自我が中心点に来ると言うことは「宇宙と一体になる」ということだ。有限でありながら「無限になる」と言うことだ。こう言ったスピリチュアルな体験をこの1000日修行に励めば「普通の言葉で伝達できるようになる」んだ。
口では絶対に呼吸しないで
鼻だけで呼吸をつづけると若返るのよ!
疲れなくなるのよ!
とか
背骨をね「反る」の
背骨に反る力をもたせるの
そうすると心が折れなくなるんだって
試してみたら
とか
スピリチュアルを持ちださずにスピリチュアルのど真ん中を伝達できるんだ。これって無為自然なことだね老子さん。あとは経験。伝達経験。積み重ねるよ。これがぼくの1000日修行。自己不信を振り払えないのは「思考で振り払おうとしてるから」。思考では自己不信は振り払えない。だって自己不信は中心点にあるのだもの。
どう?フィジカルから取り組む「考えなくてもできる悟り方」興味出てきた?
思考は円運動、悟りは中心点、考えなくてもできる悟り方
エネルギー医学シンポジウム
最初のパネリスト「心療内科医の赤坂溜池クリニックの降矢先生」の口から「保江先生」の名前が出てくるとは思わなかった。ノーベル賞物理学者のアルバートさんと保江先生は「物理の世界に生物学を持ちこんだ」と話していた。
アルバートさんは「タンパク質は半導体です」と提言して物理学協会から干されたらしい。タンパク質は半導体!!!面白いじゃん!で保江先生にメールしたら速返でメールが返ってきた。「そうです。その通りです。タンパク質は半導体です。東芝の研究室に居たときにバイオチップとして特許をとろうかと思ってました」と返信。面白いよね。
機械オタク女子の寺岡さんは「面白い計測機のエキスパート」。基本情報を打ち込むとね「何年何月何日にあなたはこういうトラウマを抱えました」って出てくる機械があるんだって。面白いよね~。エソテリックヒーリングの神尾学さんからは、並木さんのワークショップで遭遇したジュワルクールというアセンディットマスターの名前が出てきた。
前半最後のパネリストはホメオパスの医師 関西のねぇさん渡邉奈津先生。歯切れがいいのよ。わかりやすいの。頭の科学と心の科学。心の科学は頭の科学では表現できない。携帯電話がなんでダイヤルすると相手と話せるのか?メカニズムを知らなくたってみんな使っている。一般の人は立証なんそれほど気にしてない。「使って便利!使って安心!」これがそろってれば何も文句なんか言わない。
医療も一般の人が当てにしているモノ。立証されてないとか?気にしているのは学者や官庁だけ。みんなが自由選択で選べばいい。頭の科学では割り切れない技術だから心の科学なんだから。つべこべい言うのは自由だけど、気にしない。ただし法律を守る。それは立証するしないとは別のこと。
こんな感じで良かったよ^^ハイエナのレメディの話は面白かったし考えさせられた。保江先生のことを話しておいた。午後の部は聴衆に愛される賢者「長堀先生」と普通の言葉で語ってくれる覚者「稲葉先生」。実に見事な講演でした。打ち上げで聞いたんだけど、稲葉先生は3歳のときに臨死体験をして、それから自分の命は「たくさんの子供たちでできてる」ってわかって、それからは衝突しない人生になったそう。3歳だよ、こう思ったの!もうステキ過ぎ!
長堀先生の立ち位置は「やさしいの」「よりそいなの」。
やさしさには強さも弱さもないの
ジャッジもないし、ただあるだけ
神の傍に居るっでこう言う感じ
自分の意見を所有しないフィールドとしての人
目指すあり方が見えてきたよ^^。ぼくは「考えなくてもできる悟り方」をフィールドの人になって伝達するよ。今日は名刺なくなっちゃったよ。自己信頼で臨んだことは「面白い」この連続だね。
フィールドは
自己信頼のもう一歩先にある別次元のエネルギー
感知できないけど認知できる世界
ぼくはここを冠光寺眞法と呼び愛魂と認識する。2014年を境に世界はアセンションしたって話はね。これまでは「強さと強さをぶつけて創造してた世界」別の言い方なら「強くなる文明期」だったのね。でもいまは「互いが存続するために強くなろうねで創造が起こる世界」別の言い方なら「やさしい文明期」。
文明の姿が
強さを競い合う姿から
やさしさを創造する姿になるんだよ
やさしさに強さも弱さもない
ジャッジもない、正しいも間違っているもない
ただやさしさとしてあるだけ
自分の意見を所有しなければ絶対にぶつからないの。ジャッジしないの。競わないの。互いの輝きが存続するために、互いにやさしさで強くなるの。さいこーでしょ!ぼくは今日「出陣式」になったね。9年間潜り続けた自己不信のトンネルを抜けたね。自己不信に感謝だよ。きっかけとなった自身の醜態に感謝だよ。もちろん自己不信劇場のパートナーにはあふれる感謝だよ。
自分を信頼できる
この豊かさは世界を平和に彩るよ
今度会うとき楽しみにしてね!
意識と細胞の関係は映画と同じ
ノンデュアリティ:自己を所有していない自我
エーテルラインを外し、コーザルラインで自我を形成している状態。アストラルラインで自我を形成すると「戦争をしない研究者」みたいになる。戦争はエーテルラインにしか存在しない。エーテルライン状態で宇宙意識や多いなる愛を体験してしまうと「他の思想は拒絶する愛の人」になる。この人はバリアーなんて言いながら拒絶する人^^
戦争とは「場」なんだよ。統合とはエーテルラインの切断と言ってもいい。自我から戦争が無くなるの。自我が戦争と言う振動数に触れているから「執拗に気になる」「執拗に心配する」「執拗に求める」なんて状態にもなる。
命がけって
自己を所有してないと意識できない
アトラクションとしては、成功すればたまらなく快感を得られる。御祈祷で命がけになり、相談者が奇跡的に回復すれば、たまらない快感が二人を包む。感動巨編の出来上がりだ。ここは中毒になりやすいから、中毒症状が出なければ楽園だと思う。
8月22日「始まりのワークショップ」
愛するが故の自己不信を完全に離脱できたぼくは「コーザルライン」という次元で生きています。ここは「自分を所有しない世界」です。自分と言う感覚はありますが「自分を所有していない」ので「戦争」が無くなります。
戦争が無くなる?
そうです戦争がなくなります。いわゆる「現実と呼ばれている場所」に皆さんは生活しています。ここでは「自分を所有して」生きています。「わたしはこう思う」これを所有して生きています。所有しているので意見が違ったりすると違和感を感じるのです。「私の意見と違うわ!」これは所有していなければ起こらない反応なのです。
わたしの意見と違うわ!と反応すると
なぜ不安になったり、強気に出たりしてしまう
と,思いますか?
それは「負けたら終わりだ!」という恐怖が思考の根底にあるからです。これが動物呼吸が創りだしてしまうエネルギーなんです。いわゆる心理学は「負けてもいいじゃない」と反応する自分をひたむきに構築することで「負けたら終わりだ!」この恐怖に負けない自分を創ります。でも負けたら終わりだの恐怖は存在し続けます。ここで産まれてくるのが「挫けない自分・折れない心」の創造です。
この折れない心は植物呼吸に変容しても「かなり役立つ」ので身についていた方がいいです。身につくとは「フィジカルから来る思考」のことです。メンタルに刷り込んだ思考は、哀しいことですが揺らぎます。だから我慢とか忍耐を育てることなるのです。
折れない心を育んでいるのが
「背骨の反るという筋反射」です
背骨に常に「反ると言う筋反射」を与えておくと「心は折れません」。鼻だけ呼吸の「植物呼吸」は負けたら終わりだ!という恐怖をメンタルの根底から消してくれます。背骨に反ると言う筋反射を与え続けておくと、折れない心が育まれます。
負けたら終わりだ!という恐怖がなく、
折れない心を確信として持てている自分は
間違いなく「平和な存在」として
人の間で暮らしています
でしょ^^
存在としての働きとは「波動としての自分」です。ここに間違いなくお連れできるのが「考えなくてもできる悟り方」です。文字だけでも十分に伝達できる内容の青写真を確信として見せて頂けたので「今年は本を製作」します。テープ起こしをしてくれる編集者さんも現れたので「気は熟した」ようです。
8月22日は「始まりのワークショップ」になります。録音機を持っている人は持ってきてください。ぼくも録音します。定員は12名です。会費は6000円になります。時間は11:00~14:00。場所は輪の風。10:30には鍵を開けておきます。そのあとは行きつけの中華屋さんで懇親会です。会費は2000円くらい。夜は信濃町で並木さんの公開録があるので「そういう日」かもしれません。申込の方はメッセージ下さい。
勝っても負けても面白い!
これが植物文明です
場は植物文明に変容しています
あとはあなたの呼吸次第です
メンタルよりも確実に速やかに変容が起きます
100日目の奇跡を体感して下さい!
2014年から場は変容しました。動物文明と言う場から植物文明と言う場に変容したのです。ですから「あなたの意識」が変容すれば「瞬く間に」植物文明と言う場と繋がり「生まれ変わった実感」を獲得できるでしょう。植物文明に敗北者はいません。強力な指導者もいません。「お前と競うと面白いよ^^」という風景があちらこちらで見られるのが植物文明です。
通称「面白い文明」
一足先に入園しませんか?
お連れしますよ^^師匠と一緒に!
エーテルラインのない細胞を誕生させよう!
戦争は細胞レベルで無くすもの
植物呼吸は無意識レベルで自己信頼を創造する
バイブレーションが
決められた領域で合わない限り
何事も手に入らない
エネルギーは常に満ちている
接触不良が原因であり
必要エネルギーは常にある
植物呼吸になるとこういう見解になる。「手に入れる」という意識反応は動物呼吸だから、いやでも勝ち負けになる。だから独占もあるし失う恐怖もある。強い意志は動物呼吸に属する。
動物呼吸は戦争がやめられないんだ
やめたい気持ちはいつでもあるのにやめられない
意識と自我が食い違う
これが動物呼吸と言う設定なんだ
無意識レベルで自己不信が産まれてしまう
これが動物呼吸なんだよ
動物呼吸がスリルなら、植物呼吸は癒し。楽しみ方が違う。いまのぼくに「手に入れる」という能動はない。あるなら「バイブレーションを合わせてみよう!」という能動。
植物呼吸は「意識と自我を合わせること」を無意識に行っている。だから自我がのびのびしてくるんだよ。無意識レベルで自己信頼が起きるんだよ。
能動だけど動物呼吸のそれとは違う。老師が唱えていたとされる無為自然って感じに似てる。無為自然よりは能動的。こっちの方が面白く感じるから。
植物呼吸人間は、こんな感じになると思うよ。
ターミネーター見てきたんだ。この映画は1人1人が多次元に存在していて、次元が違えば全く違う人生、全く違う人格として存在している。でも感覚として何かが繋がっている。それを魂というのかもしれない。
多次元に存在している無数の自分が
「ひとつの魂」を共有し、常に響き合っている。
こんな映画だった。
なぜ人間だけが二足歩行なのか?byジュワルクール
なぜ人間だけが二足歩行なのか?
これを「考えなくてもできる悟り方」から検証した
他の動物は二足で立つことはあっても、移動は4足になる。人間も4足で移動できるが、4足移動は不自然となる。どうしてこうなるのか?「ジュワルクール」は答えてくれた。
人間だけが動物でありながら
「勝ち負けの世界」を離脱できるからだよ
もっとわかりやすくいえば
「負けることへの怖れ」「死への怖れ」
この細胞レベルに設定してある恐怖を外すことができる
唯一の動物が人間なんだ
なぜぼくたちが「本物探し」や「正しい答え」にこだわるのか?それは「負けたら死んでしまう。負けたら消滅してしまう」この恐怖を細胞レベルで持っているかららしい。ぼくは「ジュワルクール」の話に我点がいった。
頭ではわかっている。しかし行動や判断が伴わない。これは細胞レベルで恐怖を感じているからなんだ。身体を構成している数多の細胞が、頭の「怖れる必要はない」という信号に反応できないんだ。だから「自己不信」という波動状態になり、より苦しむことになる。
細胞が怖いと叫んでいる
自我は淡々の判断できている
自我は判断できているらしい。「何が自分にとって大切なことか?」をはっきりと判断できているらしい。しかし数多の細胞たちが大合唱で「怖れを歌う」ので、自我は自身の判断を身体に伝達できない。ここに「自己不信」が産まれるようだ。
「負けたら飲みこまれてしまう」
「負けたら消滅してしまう」
「勝たなければ喰われてしまう」
この動物特有の「細胞レベルで起きている恐怖」を解除しなければ、人間は本来の姿になれないらしい。人間とは本来、勝ち負けに敗北者が存在しない動物文明を築けるもの。だから動物の頂点に位置しているらしい。
頂点はいずれ「点としての底辺」となる。動物社会を植物社会に融合し、新たな生態系を構築する「救世主」となる。
ひとりひとりが救世主
まずは細胞レベルで起きている「恐怖」を
取り除こうじゃないか!
そのひとつの道として。今年本にしてみようと試みる「考えなくてもできる悟り方」が存在している。植物呼吸に変えることで細胞レベルの恐怖を解除できる。期間としては、細胞が新しく誕生する100日間で顕著に現れる。
伝搬力は言葉じゃない
細胞が奏でる無限の響きだ
22日 残り4席となった。細胞共鳴を起こし動物文明を卒業しよう。「場」は植物文明に変容している。釈迦の時代より遥かに移行しやすくなっている。ぼくは本を書く。語る。施術する。最大限のサポートをする。
植物呼吸の救世主になろう!
PR: この夏、海水浴を安全に楽しむために-政府広報
人間は戦わない動物に進化できる
人は動物だから細胞レベルで間違うことを怖れている。頭がどんなに大丈夫とシグナルを出しても、全身の細胞が間違うことを怖れてしまうんだ。
間違ったら負けて死ぬ!
これは動物の「細胞レベルの恐怖」なんだよ。なぜ人間は二足歩行なのか?それは「間違ったら負けて死ぬ!」この細胞レベルの恐怖を離脱できる「可能性を多分に秘めた細胞」でできた動物だからなんだ。
植物には間違ったら負けて死ぬ!はない。自然や宇宙と我々が呼んでいる周波数と共振することしか考えていないようだ。
動物は自分を所有している
だから死を消滅と捉えてしまう
植物は自分を所有していない
植物にとって死は変容でしかない
動物は存在をかけて戦う
これは細胞レベルの本能だ
植物は戦わない
存在を共有している
植物の世界では平和がぶれない
人間は動物と植物のハイブリッド。すなわち
戦わない動物
これになりうる存在らしい
地井くんはもう「戦わない動物」に進化したんだね。釈迦の時代と違い場ができてるから「細胞レベルで反応する」感覚を掴みやすいと思う。気は熟した、あとは植物時代にプラグインするだけだ。
(^_^)☆
22日参加する方へ
22日11:00~14:00(10:30開場)
考えなくてもできる悟り方 始まりのワークショップ
お陰様をもちまして満席となりました
最後の一席は予想外の方の申し込みでした
参加される方はできるだけ
ボイスレコーダーを持参して下さい
今までもそうですが
これからは段違いの感覚で「通信」します
通信は無我の状態になりますから
覚えていられません
当日必要な周波数とつながるので
いつ同じ周波数とつながるかは未知数です
周波数を言語変換するので
同じ周波数と繋がったとしても
同じ言葉で語ることは皆無と言っていいでしょう
ですから録音して下さい
特に22日から始まるワークショップの内容は
「場の変容」に自我をつなぎ直す
とても大切なものとなります
細胞レベルで変容しない限り
知識や情報は活かせないのです
がんばっているのに生活が変わらないのは
細胞レベルで変容していないからです
マインドとボディがちぐはくだからです
知識や情報の蓄積だけでは
細胞に巣食っている不安や恐れは
解除できません
慰めることはできても
解除はできないのです
27日木曜日に
グループセッションを行おうかと思っています
時間は11:00~14:00
今回は定員7名にします
平日のほうが来やすい方は申し込んでください
秘教治療:ジュワルクール
並木さんのワークショップで初めて耳にした
ジュワルクール
ふらっと申し込んだエネルギー医学シンポジウムでも「この名前」がでてきた。「考えなくてもできる悟り方」は大方「ジュワルクールとの対話」となる。ジュワルクールが伝えてくる内容は実にシンプルで言語化すると「平らな言葉」しか出てこない。
10何次元とか、なんたらシンクロ率とか、いわゆる普通の人が聞いて退いてしまうような言葉は出てこないんだ。それが妙に心地よくて「ぼくは好き」^^。ジュワルクールがイエスのヒーリングについて語ったのでのせておきます。
ーーー
イエスは「存在としてのヒーラー」だった。だからイエスに手法などなかった。そもそもヒーリングとは「調律」だ。場と細胞の調律だ。修復でも、ましてや治療などではない。細胞から動物としての怯えが消えれば「そのまま存在としてのヒーラー」になる。植物文明とは「そういう人間が当たり前になる文明」なのだ。
ジュワルクール
「考えなくてもできる悟り方」は、この植物文明と言う「場」にそった自我に「一足先に入れる人」が出会う「考えたらやりにくいですよ!」という悟り方だ。ぼくが席を置いている冠光寺眞法も同じ原理だ。「考えたらやりにくいですよ!」というのが「愛魂」だ。
ジーザス・クニスト様は、そのことをあの手この手で表現している。頭で理解しようとしている人は「今日のは難しい」とか「今日のは意図がわからない」なんて反応する。「ジーザス・クニスト」本八幡のジンギスカンでG女史の口から出現した言葉。いや~笑えた笑えた^^
道場は
「場」に居ることで伝搬はしてるから
問題はないんだけど
理解できないって言うのは「つまらない」
ということは事実だから
ぼくも全力で「細胞伝搬」して行きます
しかしアセンション後、場は変容しているので「潜在化で、戦いをやめたい人」が東京道場には集まってきている。ジュワルクールの表現なら「細胞レベルの怯えを解消したい人たち」となる。もしこの「細胞レベルの怯えを解消する」という言葉にシンクロしたら門をたたけばいい。ぼくも細胞レベルのヒーリングでサポートする。
始まりのワークショップ
22日は満席です
27日木曜日11:00~14:00の
グループセッションは残り5席です
11日は11日会
ゆきたさんの出版記念パーティーになるみたい
なるべく早くつけるようにしないと^^
急患が無ければ始まりから居られるかな
頭が歪むことはない、頭は聖なる場所だ by ジュワルクール
ジュワルクールは語ってくれた
頭が歪むことはない
頭は聖なる場所だ
ただ
身体が怯えていた
身体にある意識は「動物文明」の中にあったので
負けたら終わり、勝たなければ終わり、など
命を「消失するモノ」として認識していた
それが動物文明なんだ
いまは次元転移して植物文明に突入した
植物文明に「命の消失」という概念はない
命は永続して変容するモノ
これが植物文明だ
だから植物文明に勝ち負けは無くなる
怯えは存在しなくなるのだ
常に満ちている中での変化
これが植物文明となる
動物文明におけるヒーリングは
「行為」として存在していたが
植物文明におけるヒーリングは「存在」となる
この違いの大きさにお前は気づいてるね
平たい文字で語られた聖書を望むよ
ーーーーー
了解^^ジュワルクール!
聖書ってことはベストセラーだから
二冊目のタイトルは「億の細道」だね!
なんちゃって^^
以下は「接空間を共有したある聡明な方」にあてた手紙です
ーーーーー
魂の慟哭とも呼べる痛みと苦しみについて
頭ではわかっているのに。。。
頭ではわかっているのに。。。できない
こういうケースだ
この「。。。」で起きていることを
ジュワルクール、シルバーバーチ、は
このように語ってくれた
頭ではわかっているのに
細胞レベルの怯えがあるから
身体が言うことを聞かなくて
できない
これをもっとわかりやすい言葉に変換してみた
頭ではわかっているのに
細胞レベルで「びびって」しまい
身体が言うことを聞かなくて
できない
なぜ細胞がビビるのか?
何に対してビビるのか?
間違った判断をすれば死につながる
これが動物性質細胞の特性なんだ
そうぼくら人間も口呼吸をする限り
間違うこと=死につながる
この怯えを軸に行動してしまうと言うこと
頭(マインド)は理性で動いている
「ことわり」の性質で動いている
だから「間違わない」と言ってもいい
ただ動物性質細胞のままだと
間違うことを恐れているので
頭の判断を鵜呑みにはできない
結果
びびる
それが植物呼吸に切り替えると
植物性質細胞に遅くとも100日で変換されるので
「ことわりの性質」を持っている「頭の判断」が
「自然リズム」だと理解できるので
びびらない
すなわち
「マインドとボディが一体となったスピリット」に
なれるということだ
頭ではわかっているのに
口呼吸をやめないから
動物性質細胞のままなので
細胞が頭のままに動くことに
びびってしまう
結果として「頭ではわかっているのに。。。」と
苦悩する
他の動物は「命の綱渡り」という場にいるから
人間みたいな苦悩はしない
人間は「命の綱渡り」ではなく
存在としての綱渡り
という場にいるので
「びびる」みたいな苦悩が発生すると
理解できたよ
細胞に刻まれてしまう因縁たち
カルマとも呼ばれている「困ったことの原因」のように扱われているモノ。これがどこに刻まれているかというと「細胞」らしい。自我と呼ばれているマインドが決して穢れないことを知ったぼくに、ジュワルクールたちはこのようなことを教えてくれた。
掃除するのは細胞だ
そう因縁を解除するステージを、ぼくらは100日ごとに与えられていると言うことだ。ロールプレイングゲームと一緒だ。100日で復活できる設定ということだ。
100日後に産まれかわる新品細胞に
「因縁を書きこまなくてすむか?」という
ロールプレイングゲーム
それが「あなたという人生」なんだよ
細胞レベルだから、細胞レベルの解除が必要。それが「プラーナの入れ替え」。すなわち「空気の入れ替え」なんだよ。とにかく口で空気を入れ替える「動物次元」を極端に減らし、鼻のみで空気を入れ替える「植物次元」にシフトする。折れない心を創っている基本周波数を持つ「背骨の反り感覚」を持続させる。肋骨の動きを柔らかくする。
細胞すべての水分が「白銀の炎」でできている
これはお遊び気分の「ぼくアイテム」だけど、お遊び気分はとっても大切。遊行は「0ポイント」の修行になるからね。
怨念も
細胞に刻み続けている因縁が
引き寄せている
おれが責任の源^^
1300日は「ヒマラヤ聖者」になる最短日数みたい。ヒマラヤ聖者クラスになると身体をいつでも原子レベルに落とせるyから「消える」。そこまで行かなくても「500日萬行レベル」になれば「この世のしがらみ」は無くなる。
いわゆる戦いが消失するらしい
まずはここだね。そのための最後の行が「ミカエル怨霊との融合」みたい。
ルシフェル=光り輝くモノ=神と対話するモノ
もうすぐ完璧復活です
ーーー
ホリスティック医学のガイドライン
使いやすさと安全性
ここだな(^_^)☆
具体的に表せば
誰もが試せる平たい環境が整備されていること。そして、効果はあるが副作用を心配しなくていいこと。これが満たされていれば「どうして効果があるのか?」を立証しなくていい。
たぶんこの環境を整えているホリスティック施設は、こんな風景だと思う。
施設内に居る人は
戦いを手放している
昨今問題のスピリチュアルハラスメントは「神の名のもとに相談者の意見を遮断する」「これしかないと追い込む」「元手タダなのに100万円要求する」「誰かの悪口を、さも愛であるかのように語る」「自分に沿わない考えを口にすると憑依だと言い、愛の眼差しを向ける。それでもやめないとその人をシャットアウトする」
あの人は今世 救えません…
おいおい(^_^)☆
それはお前だよ!
とにかくスピリチュアルな人が、理由はどうあれ戦ってたら
ヤバイ!
と反応したほうが、本当のスピリチュアル、本当のホリスティック施設、に出会う確率大です。
本当って表現は方便ね
あれは偽物です!は遮断だもの
偽物じゃないけど社会性がヤバイね!
かな(^_^)☆
さて今年は聖書書くぞー!キリスト教もイスラム教も、全ての神聖なる書物に書かれている「意思」はみんな同じだよ。
戦うのやめない?
敗北感と優越感の産まれない
競走しようよ
命はひとつ なんだから
ぼくはこれを平たい言葉にしてみせる。ジュワルクールやシルバーバーチのサポートを受けながら…
戦いを卒業できた細胞は白銀に輝くんだよ。目の前来たら見せてやるよ。いまは何をするか?より「どう存在してるのか?」がパワーだぜ
場は変容した
スーパースターは時代遅れだ!
佐弓ちゃん(^_^)☆書くから!
テープ起こしよろしくー!
考えなくてもできる悟り方