執着を手放せてから
現実のすべてが「ドラマ」だと理解できた
理解とは「実感」だ
勘違いさせてしまうかもしれないが
ドラマのワンシーンだと思って施術すると
滑らかに進む
力みがないというのか
我が抜けたというのか
滑らかに進むんだ
ドラマの中で起こる殺人は
画面を通して観てられるけど
現実で起きた殺人は観てられない
極端な表現だが
ドラマの中だから武田鉄也の「ぼくは死にましぇん」は
ほほえましかったが
現実にあれが目の前で起きたら。。。
あなたはその人の愛を受け入れる?
役に入り込み感動を呼ぶ演技ができるのは
それが役だと理解するスペースが
役者さんにあるからじゃないのか
音楽家やスポーツ選手が
最高のパフォーマンスができたとき
そこに居る自分を観ているような感覚になるという
入りこんでいるのに
それを観ているスペースがある
このスペースを持つことを
「覚醒」というのではないだろうか。。。
いまこのときもドラマのワンシーンと思うと
不思議と気楽に文字が打てる
いい意味で役者バカになる
今生を謳歌するコツの一つと思える
ドラマのワンシーンだと思って
5月23日・30日はUFOを実感してもらいます
今日はなにやら特別な新月らしいですね
妙なるご縁を頂いて関東の天狗山に行ってきました
天狗山でしみじみ爽快に実感したことは
人は
実感しないと先に進めない
でした
当たり前と言えば当たり前ですが
ぼくには新鮮な実感でした
ぼくにとって天使は
次元を超えるUFOにのってこちらにやってくる
宇宙意識たちです
UFOのことを「フィールド」と呼びます
並木さんはプラチナシルバーを使うようですが
ぼくはホワイトゴールド「白に見える銀」を使います
この世的に言うと庶民的金属ですね^^
23日も30日も「実感優先のワーク」になります
UFOに乗って帰ってきたらこんなにも首が回るとか
さっきまでの不安が消えちゃったぞとか
UFOに乗れるんですね!
実感させます
23日は定員に達しましたが
どうしても出たいという人がいれば「1名」は入れます
天使に確認取りました
30日はこの世的には確認取ってませんが
予定調和で上手く運ぶでしょう
統合とは
自我の曇りガラスを透明なガラスに
入れ替えるようなものです
自我はガラスです
光源ではないんです
個性は長所短所ではなく
輝いているか?曇ったままか?
という見方をするものだと感じています
UFOに乗って曇りガラスを外しましょう!
低いバイブレーションが問題なんだ
怖れや不安があることが問題ではなく
低いバイブレーションを持ち続けていることが
問題なんです
低いバイブレーションを持ち続けると
自我は固まり
変化することを恐れるようになるんです
変化することを恐れてしまった思考は
言い訳を多用するようになります
また外部に対して否定的になります
低いバイブレーションを外すのに効果的なのが
「音にならない高音を聞く」なんです
これって
天使やUFOに遭遇するときに聞く音なんです
高次元に接触している自我は歪みません
低いバイブレーションを持てなくなるんです
グループセッションでは
お抱えUFOや、お抱え天使グループを実感してもらい
常に高音を自我に響かせることのできる
安定した自分を手にしてもらいます
23日は定員になってしまったので
グループセッションを試したい方は
自分に都合の良い日をメッセージ下さい
その日で募集して開催します
所要時間12:00~15:00
定員5名 参加費6000円
これ来月の11日会で試してみようかな^^
最近の感覚をまとめました
5月は感覚として
とても大きな変化がありました
それを踏まえてまとめてみます
この世界は
「自分がある」ということを
体験できる世界です
本当は自分なんて存在しません
だから相手も存在しない
運命的な出会いというのは
ドラマのワンシーンにすぎません
これを踏まえたうえで
「自分がある」ということをどう捉えてゆくのか?
そこに「人生はある」と見るようになりました
過去世の未練を断ち切るために
今世を設定し生きているという捉え方もある
天命を持ち産まれてきた
神様と約束した
だから成し遂げるという捉え方もある
ただ起きていることが起きていると認識できたとき
起きることが起きているのだから
そこに変化など必要なく
変化を求める必要もなく
自分など無くて個人の想いなど錯覚で
ここには無限に広がるバイブレーションがあるだけ
という捉え方もある
ただ普通に捉えれば
のびのびと幸せに今日を過ごせて
傍に居る人たちと楽しめて
未来に明るい希望が持てたなら
言うことなしというのが
「自分がある」という世界に共通している願望かと
観えるのです
「自分がある」というこの状況を
あなたはどう過ごしたいですか?
運命を用いた方が面白そうですか?
神や天使のサポートがあると思った方が面白そうですか?
過去世から続く恋愛があると思った方が面白そうですか?
超古代文明が存在している方が
宇宙連合が存在している方が
面白そうですか?
どういう設定が面白いと思いますか?
ここに「人生」を観るようになりました
本当は自分なんてないけど
「自分がある」という感覚を持てる世界に居るんだもの
どう設定した方が楽しめるか?
それを純粋に思えるようになりました
自分がいて相手がいる
この感覚を使い「何を味わうか?」
それが人生だと思っています
バイブレーション。。。ここに軸を置いたとき
特別な想いに囚われなくなりました
頭で聞く高音のバイブレーション
スッキリしました
スッキリすると「どういう設定が面白いか?」
クリエイターにシフトします
キャラクターはドラマの中に飲みこまれます
ドラマの主人公は死んでも
俳優は死なない
主人公はキャラクター
俳優はプレイヤー
クリエイターは俳優を観察するところに居る
キャラクター プレイヤー クリエイター
全部設定
どれも作りモノ
今のぼくからの贈り物があるとすれば
バイブレーションから人生を捉えると
0か100かでスッキリしますよ
ですね
高音のバイブレーションを忘れているときは
低音のバイブレーションが響いています
低音のバイブレーションは
自我に怖れや不安を定着させます
これが人生を複雑怪奇にしている元凶だと
今のぼくには観えています
理性という場が治癒にいざなう
感情と理性、収縮と拡張、感情のライン
感情は収縮です
理性は拡張です
「自分がある」は強い収縮
「自分はない」は薄い収縮
幸福感と不幸は「ライン」で区切られている
収縮しすぎて「ライン」を超えないことです
「ライン」が見える「実感」を持つ
肉体がある世界での事実は「実感」です
この実感は感覚です
感覚は「脳反射の習慣」と言っていいでしょう
「脳反射を変えるトレーニング」として
冠光寺流は機能している気がします
薬師瑠璃光如来を自分に重ねておくと
脳反射が変わります
これは「ぺテン」かもしれませんが
越えない方がいい「感情のライン」がはっきり見えます
これ以上の収縮はヤバいな。。。がはっきり見えます
30日のワークショップでは
この「感情のライン」を実感してもらえるように試みます
これ以上の教えはありません!
なぜその人を好きになったのか?
自分を否定してしまうという引力圏
このことから誰かと関係性を持った時は「この人と肯定感をひろげてみよう。そのために会話することになったのだから」と自分に設定してしまえば、コミュニケーションの軸がぶれないので楽だと思えた。
互いの自己肯定感をひろげるために
あなたとは素通りではなかったのですね
瑠璃如来が示唆してくれたこのシナリオをぼくは気に行った。今思えば気のきいたことを伝えようとするあまり、互いの肯定感を広げられないままの関係性を持ってしまったことが多々あったと振り返ることができる。この苦みを糧に今後の関係性で挽回してゆこうと思っている。否定も肯定も周波数であり共鳴するものだ。他者のあり方を否定しているということは自己を否定していることそのものなのだ。
他者を肯定できたら
自己を肯定できたということになる
これはエネルギーであり言葉づかいではない
そこを見誤ると苦い体験をする
互いの肯定感をひろげてゆきましょう!自己否定という引力圏を互いに離脱しましょう!そういう周波数を出せる自分を目指す。瑠璃如来とはいい関係が保てそうだ。これが「自己ぺテン」であろうと「気持ちの良いぺテン」だと理解しているので「楽」だ。
出任せブラザーズの出版記念講演会
冠光寺流輪の風接骨院というアトラクション
瑠璃如来 瑠璃瞑想 13日のワークショップ
瑠璃瞑想は「休憩室」として
簡単に機能する「瞑想休憩室」です
生きていること
現実というモノは
ジェットコースターみたいなものです
休憩なしに乗り続けたら
辛くて辛くて
怨み続けることになります
しがみ続けることになります
生きていることが嫌になります
現実とはジェットコースターです
適度の休憩により
最高の感動をもたらしてくれる
奇跡のアトラクションです
身体のいろんな場所を使って
光に帰れているかチェックしましょう
光に帰れると
行きすぎた感情や想いが「×0」
カケルゼロになります
光に帰ることは奇跡ではなく
休憩のようです
瑠璃瞑想は薬師さんが教えてくれた
とても簡単な瞑想です
興味がわいたら一緒に体験しましょう
これから伝えて行きたいスピリチュアル
これから伝えて行きたい
スピリチュアルがあります
それは
自分が居て相手が居て関わりがあって
これが奇跡だと言えるスピリチュアルです
光に帰ることや、ワンネスを体験することは
この奇跡を堪能するための休憩システムであって
真の奇跡ではなかったと理解しました
そもそもわたしたちは
自分も相手もいない
ワンネスとこちらでは呼ばれている
世界から来ました
ワンネスの先には「何もない世界」があります
ここが神の領域だと理解しています
現実と呼ばれている世界には
自分が居て相手が居て
許容すれば
天使が居て神が居て宇宙人が居て
多種多様な関わりが産まれます
関わりがある
これが現実であり奇跡なのです
たしかに見方を変えれば
光に帰る感動も
関わりがある現実世界でしか味わえません
そこに感動を求めてきた人たちもいるでしょう
ぼくが今、感動しているのは
この人に好かれたか?嫌われたか?
この最も露骨と言える感覚に
感動しています
言い方は悪いかもしれませんが
ゲームに夢中になっている感覚です
好かれた?嫌われた?
ワクワクしてます
このワクワクは
休息なくして成り立ちません
光に帰らなければ成り立ちません
自分も相手もいない
愛のみの関わりしか存在していない
光の記憶に帰らなければ
好かれたか?嫌われたか?のワクワクは
存在できません
自分が居て相手がるというジェットコースターで
ワクワクドキドキの絶叫をするために
光に帰り感覚を休息させないと身が持ちません
それが瑠璃瞑想です
瑠璃呼吸法です
瑠璃発声法です
瑠璃嗅覚であり、瑠璃聴覚、
瑠璃視線であり、瑠璃タッチです
ワークショップはここを伝える
グループ勉強会になります
13日は少人数になる予感ですので
濃密に伝授できそうです
ではでは
当日は佐弓さんと司会をさせていただきます
ワクワクドキドキです
また19日は山本先生35周年祝賀会に
急きょ無理を聞いて頂き参加させていただきます
20日はスカイホール@保江家元講演会
近々では11日会
瑠璃瞑想を使い関わりを思う存分
楽しませていただきます
7月4日、山本保江@口から出任せ講演会
支えてるよろこび、支えられてるよろこび
山本光輝先生35周年記念祝賀会
すばらしい「気」でした
会場が持っている「気」もすばらしく
「さすが~」でした
あきる文字 で山本先生が描いてくださった
「自分の名前」
すごい護符です
正確には
山本先生が自分を明け渡すことで降りてきた
神様が
あきる文字を描いている思われます
肉体がある世界では「共鳴」がパワーになります
あきる文字で描かれた自分の名前は
類をみないほど共鳴を起こします
みなさんも頼んでみてはいかがかと思います
これはすごいです
今日は山本先生の35周年祝賀会に出席した。気が良かった。あきる文字って神の完全なる依代にならないと描けないと知った。依代はしっかりとした審神者がサポートしていないと機能しない。会場にはステキな審神者さんが沢山いた。これが よしのふとし だよ。いや~山本先生すごい。完全に自分を明け渡すって、やろうと思ってできることじゃない。いい審神者さんがついてる。よきかなよきかな。
並木さんのワークショップに参加してきた
並木さんのワークショップに参加してきました
その中で
DNAを使ったブロック解除が
あったのですが
これ、いいです!
週末開催のワークショップで
教えますね
パーソナルアニマルと出会い
錬金術を行う秘密の部屋に行きました
ぼくのパーソナルアニマルは
「赤い眼をしたユニコーン」でした
最初は紫の眼をしていて
とても穏やかなユニコーンだったのですが
会の終盤で会場の方からの質問で
グラウディングの話が出たときに
紫の眼が赤く力強い眼に変わりました
ドキッとしました
これは自分で解析するよりも
並木さんを通して理解した方がよいと
瞬間に判断して手を挙げました
その質問をしたら並木さんもドキっとしたと。。。
そしていつもより長くガイドたちと話をしていました
ひとつひとつやさしい言葉に換えながら
語ってくれました
納得できる話でした
すべては完璧です
心地良く感じられる完璧と
苦しくつらく感じる完璧があるだけで
すべては完璧なのです
赤い眼をしたユニコーンは
平将門公を象徴する神馬を連想させました
力強く凛々しく、そして優しい
そういう毅然とした姿に見えました
びくびくせず本気になろうと思いました
臆するな!ともに行こう!
ありがたい友たちです
素直に正直に自分を認め
妙な隠し方などせず凛々しくあろうと思いました
神馬に見えるユニコーンは
自分の本質でもあります
パーソナルドラゴンのヤヌーも
慈愛に満ちた赤い眼をしていました
グリーンに輝くハートに凛とした赤い眼
やっぱりルシフェルなのかと理解しました
中伝三段の免状は
冠光寺流始まっていらいの
駄天使ルシフェルの名のもとに。。。
ですから^^
隠さずに凛々しくありたいと
帰りに寄った銭湯で誓いました
次回お会いするときは
凛としたぼくをお届けできると思います
パーソナルアニマル:赤眼のユニコーン
赤い眼のユニコーンとともにあると
今まで見えなかったモノが見えてきた
ひとつであることの素晴らしさと
二つであることの素晴らしさが
支え合って存在しているのが「人」
この感覚は新鮮だった
同化と反射
この両面をどう使うかによって
心地良さや苦しみとなる
二つであることの素晴らしさを使い
現れるモノが「共鳴」だ
この「共鳴」が生きる力とも言える
生きている実感だ
同化は休息であり癒しと言える
赤い眼のユニコーンに象徴される周波数は
反射を意味し生きている実感を再生する
並木さんからも以前
メールで伝えられた内容だが
ヒーリングを受ける人をヒーリーと呼ぶ
ヒーリングとは
ヒーリー自身の周波数変化により起こるもので
ヒーラーがもたらすエネルギーではない
赤眼によれば
ヒーラーがヒーリーに共鳴させる周波数によって
ヒーリー自身の周波数が変換され
ヒーリー内部から湧き出るようなエネルギーが
ヒーリングと言えるだろう
ヒーリー自身の次元転移とも言える
ヒーリーが次元転移を起こす「場」を
生み出すのがヒーラーであり
ヒーラー自身はヒーリーに対して
ヒーリングをもたらすものではないと判断した
この判断は絶対ではないので
腑に落ちた人は参考にしよう
わたしの内なる激しさと
ヒーリーの内なる激しさが共鳴したとき
静寂が訪れる
この静寂が「場」であり「ヒーリングの出現」となる
・元気が出ない
・もやもやがとれない
・感情が暴走する
・パワーがほしい
・自分を定めたい
こんな状態に赤眼の起こす共鳴は有益だ
反射が起こす共鳴はパワーを生み出す
同化が起こす共鳴は安息をもたらす
激しさと激しさの共鳴は
パワーを生み出す静寂をあなたにギフトする
27日のワークショップでは
来院した方のパーソナルアニマルを誘導できればとも
思っている
パワーがみなぎる
これが凛々しさなのだろう
赤眼の先には深遠な紫眼がある
ここに到達すべく反射による静寂を研磨しよう
重力バランスと破邪
「構造医学」という世界に触れてきた
そこで
「重力バランス」という感覚を
仕入れることができた
邪気がたまるとは
重力バランスが崩れているということ
邪気とは
こもりすぎた熱と理解してもいい
こもりすぎた熱は
外界にある邪気を引きこんでしまう
これが病や精神不安、不幸なこと、
となって現れる
不幸なこととは
邪気を引き込んでいる状態であり
邪気を引き込まなくてすむときを
幸福と感じているだけのようだ
歩く
この行為が
重力バランスを整えている行為だ
この意識もなく歩いていることが
重力バランスを崩している元凶だと見えた
わたしは重力バランスを整えている
この意識を持ち歩く
この変化だけでも
邪気を引き込まない状態を
かなり構築できるだろう
気持ちの根っこには電波がある
気持ちの根っこには電波がある
気持ちを変えようとするから
電波が変わらない
電波を変える
神社にある鏡をイメージすると
電波がリセットされる
心地良さとは
リセットされたときに感じるもの
重力に捕まる電波を出しているから
気持ちも身体も重くなる
重力との関係がネガティブとの関係
ネガティブとの関係が人生模様
ポジティブは全体性だからもともと「0」
気持ちとは
心地良いネガティブと心地良くないネガティブの相関
こんな風に見えてきた
ある これがネガティブ
全体性だったポジティブが進化して
ネガティブという分離を生み出した
気持ちは全部ネガティブだ!
というネガティブの外し方^^
電波をリセットしましょう
これも冠光寺眞法だと理解しています