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Channel: 新しいノンデュアリティ
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真理はあからさまにそこに出ている

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救済は、自己という思いこみが消えた時に訪れます。


苦悩は、自己という思いこみが膨張した時に訪れます。


楽しい時は自分を忘れ、苦しい時は自分のことばかり考えているのです。

*****

この表現は言い得て妙^^


自己をどう扱っているのか?
これが「人生」であると言っても過言ではない


自己とは記憶


 

 

自分という記憶は、全てでありながら個人でもある
実に面白い創りになっている


個人とは正義、全てとは愛


このように組分ける感覚を持ちました


自己という意識の中で個人が勝れば、愛より正義が勝った感覚になる
この感覚はジャッジとなり、自分の正しさと違うモノを拒絶する習性を引き出す
戦争の火種です


自己という意識の中で「全て」が勝っているとき
調和となり、違うということが奇跡だと「違っていることに喜び」を感じる
平和の礎です

 


愛と正義、これ、全てと個人
この配合が人生という姿になり、あからさまに露呈する

 


愛が勝る自己が嘆くはずもなく
正義が勝る自己が平穏であるわけも無く
すべてはあからさまに「姿形」となって現れる


これも真理の一面

 


これを見るに、サードアイなど開く必要もなく
霊能力もいらず、御神霊と対話する必要も無く、
普通の感覚で観る力があれば、そこにそのまま出ている


顔・生活感・立ち振る舞い
そこにあからさまに出ている


真理とはそういう「普通の眼」で観るものであり
特殊感覚を用いて観るモノではないと、思うようになりました


矢作先生が危惧しているスピリチュアル信仰、
スピリチュアルという宗教と呼んでもいい


 

 

過去世など気にする前に
隣に居る人と自分が、どのように接しているのか?
そこに眼が向く感性を養わないと、真理など夢のまた夢
平穏など訪れるわけも無く


鏡に写る顔は、姿は、掌は、
その存在だけで、隣人の心をゆるめることのできるものなのか?
クンルンのKANさんも同様の想いを、先日伝えていました


真理は宗教にあらず、教えではなく摂理
文字のみでは表現できぬ
「口伝のみ」が伝達できる「空気感染」のようなもの


今日はそんなことを、深夜に想う日となりました

 


鏡に写る姿が「風景」に見える


 

 

他の空間に存在する自己が、
自由に変化させることのできるこちらの風景
それが「鏡に写る姿」だと、今日は思えて安心したのです

 


おわり 


今日は楽しい稽古です

 

門人のみなさんに

鏡に写る姿を「風景」と感じる感覚の聡明を

口伝できればよいのですが^^

 

師範 紫 の夢のひとつです


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