表現したかったことが、ちょっとまとまった
「わたし」この感覚が、感じ方や考え方の始まり。この「わたし」という感覚には≪幅≫がある。
人間と呼べるバイブレーションから、ワンドロップと呼べるバイブレーションまで、かなり広い幅がある。
この幅の人間側に「わたし」を感じていると、辛抱や忍耐なくしては乗り切れない人生を過ごすことになる。それがワンドロップ側に「わたし」を感じるようになると、ワクワクドキドキ、ハート開きっぱなしみたいな人生を過ごすようになる。
天風さんはある場所で「人間やめろ!」と言ったそうな
わかるわかる^^
人間側とワンドロップ側を、無意識に行ったり来たり。これが普通の状態。それが「わかるようになる」と、「わたし」の置き場所を好きなように移動できる。「ワンドロップの目覚め」だ。
5階までしか登れない人は、1階~5階で判断するしかない。20階まで登れる人は、1階~20階で判断できる。人生の質は「ここ」にある。
「わたし」には≪幅≫がある
人間側からワンドロップ側まで、そういう意味では大きな幅がある。しかしその大きな幅は、別角度から捉えれば≪シンプルな二択≫でしかない。ただいま現在、この≪幅≫を巧みに使える人は、かなり少数だ。
人生とは、なんとエキサイティングでシンプルな「スペース」なんだろうか。ここは奇跡だ。それにしてもこの写真は「なんともいい空気」を出している。