人は「騒々しい」んです。人の意識の根源には「理屈の無い不安や怖れ」があります。これが「ネガティブ」です。
神と呼ばれている意識には、このネガティブがありません。だから騒々しくないんです。しかしこのネガティブがないと個性は産まれません。全体としての「私」が主になるので、人が自分と思っている「個体としての私」は存在しないも同然になります。
宇宙生命体や菩薩如来の「顔が同じ」なのは、このネガティブが個体として存在しないからです。ネガティブ(理屈の無い不安や怖れ=そういう振動数)が「個体としての私」に存在しないと、「かかわりあい」は存在しません。
かかわりあいが無いとは、隣人が隣人ではなくなるということです。そこには「思い出」など産まれません。
私の奥にある「暗いモノ」があるから、
あなたと思い出を作ることができている
なんと素晴らしいことでしょう