透明先生との授業
透明先生とは 高次元に存在する自分のことです
映画インターステラーは このような内容です
いわゆる自分と感じているモノは「実有」と呼ばれているもので
親子とか、友人とか、他者との関係性により自分を構築しています
これらは 不完全であることを体験するための仕組みだと聞きました
この仕組みは 全体からすると かなり貴重な領域のようです
いま ここ と呼べる世界は そのすべてが貴重な変化だと
透明先生は語ってくれました
話は変わりますが
保江先生の東京道場誕生会は
あと5名で受付を終了します
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実有と 仮有と 光 = 個人としての私と 霊としての私と 魂
個人としての私は永遠に不完全
不完全だから関係性に物語を作る
この物語をカルマと呼ぶ
霊としての私は永遠に完全
完全だから関係性が作り出す物語がフィクションだと知っている
霊は、個人としての関係性「カルマ」を尊ぶ
魂には私がない
ただ 光と呼べるような存在として佇む
魂を神と呼んでもいいだろう
神により産まれた霊としての私を仏と呼び
仏が不完全を体験する場を人間と呼ぶ
人間も仏も、神のプリズム
同質でありながら違う景色を織りなす表裏なるモノ