自我と他の感覚が並列になったとき起きる奇跡はとても優しい。自我が感覚のリーダーになろうとしている状態を「エゴ」と呼ぶのだろう。自我は自我でしかない。ここから始まる解釈は優しい時間を創造する。
わたしの痛み。自我が痛みに対してリーダーになろうとしたとき「許せない」とか「もうダメだ」とか排他的な解釈を始める。言語による解釈は言語化された時点でその方向性を決めている。この部分の感覚は自我にとってとても有用だ。
わたしと痛み。痛みとわたしが並列に並ぶとき I am What i am が起こる。ここから始まる解釈は奇跡と呼べる解釈になる。自我はリーダーじゃない。これを理解している「わたし」を体験したとき、自我はその状態に天使や神を見たのかもしれない。ここに居ながら別の世界に居るような感覚。これは機能だとわかる。天使や神のような感覚になり生きることは才能ではないと思う。
2月27日(株)Amour主催ワーク「わたしってなあに?運命とわたし」
3月12日 福田と吉野の仙骨会議 清澄白川
3月21日 主催協力:Hand to Heart Projectワーク 目黒
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自我と他の感覚が並列になったとき
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