個人にとって重要なことは「愛が足りているという感覚」だと思えた。愛が足りているという感覚から起こる思考は優しい時間を創造する。
それはそれでしかなく、それに意思はないと断定した。意思は無い、即ち判断が無い。パワーはあるが判断は無い。それしかない場所では「パワーはあるが反応が起きない」と断定した。
個人には意思がある、しかしパワーが無い
それにはパワーがある、しかし意思が無い
人間が体験している現実はシンプルな意思により決定されていると思えた。個人が愛が足りていると感覚していると、その意思にそれが反応してパワーが作用して「愛が足りていると言う現実」を創造する。だから個人が愛が足りていないと感覚していると、その意思にそれが反応して「愛が足りていないという現実」を創造する。
このストーリーは絶対ではないが、人生の質を高めたいと習性として思ってしまう個人には「きっかけ」になると見えた。
愛している
この言葉が現れるのは「愛が足りていると言う感覚」が土台にあると見えた。個人が幻想だと理解できた個人「仮有」は、あなたと私であることが奇跡に見える。わたしはまぼろし、本来存在しないモノ。あなたもわたしもただのエネルギーなのに、愛について語り合っている。
個人は奇跡だ
ほんとうは何も起きてないけど、何も起きないけど、個人に限定すれば「愛が足りているという感覚」は大切だと見えた。
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愛が足りているという感覚
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