16日のワークは序章。30日のワークは完結であり始まり。2月27日18:00~アムール主催のワークin船堀も面白いです。
今日の感想です。表現のニュアンスがページに合わないときは削除して下さい。いつも「静止する場」をありがとうございます。^_^
菜穂さんは静止から表現が起きている。質問者は動きから表現が起きている。静止は静寂である。静止に変化はない、時もない。ただある。
セラピー中に出てきた大日如来も静止から語っていた。始まりが静止だとぶれない明確な表現が起こる。動きから表現が起きていないか?この着目は個人を変容させる。
個人が静止したとき「それ」を実感する。「それ」を実感した個人は、個人が関係性を体験する領域であるだけで、ただそれだけだと理解する個人が現れる。これが大日如来などの姿として現れた。
静止から語られる表現はぶれない。このぶれないは動くことをやめられない個人に変化を与える。それがこの空間(菜穂さんを意識できる空間)なのかと動く個人が感嘆した。
静止する個人
ここから始まる現れに、これからを観た。動く個人と静止する個人、この関係性が観えると個人がただの領域だと観える。領域に意思はない。ただそういう現れが起きるだけ。
阿部さんがこれから現そうとしている瞑想やワークには興味がある。そういう意味では全く新しいアプローチであり、それに戻るだけであり、動くことから起こしてしまう個人には待っていた刺激だろう。
いつもありがとうございます
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終わりの始まり 感想
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