さて今日は
ぼくが主体として使っている
全体性
これについて書きます
下野さんが伝えようとしてくれている
文字で伝達するときのセオリーが少しだけ
見えてきました
ありがとうございます!
非二元と全体性の違い
大和田菜穂さんの非二元は
個人を所有する限り苦しむと提唱しているように見えます
ぼくが主体としている全体性は
個人を所有することは自然であると認識します
しかし
個人に感情や感覚を所有させない
個人に感情や感覚を所有させるから
自分勝手なストーリーを捏造して
自分も苦しみ、周りも苦しめると認識しています
共通項は
感覚や感情は個人のものではなく
現れては消える現象だと認識しているところです
思考に関しては「価値観からの捏造」であるから
感覚や感情より論外のモノで
自分を所有する限り「苦しみの種」を製造し続ける
やっかいな存在です
しかし同時に、扱い方が分かれば
生きている時間をファンタジーランドにしてくれる
大変ありがたい「おもちゃ」でもあります
さてここで全体性から
大和田菜穂さんの非二元に質問があります
非二元には
痛みはどんなものですか?
全体性は痛みを
「仕方なく所有してしまうモノ」と認識します
感覚や感情を完璧に所有しないように
痛みを完璧に所有しないわけにはいきません
KANさんのように
肉体を原子レベルで認識している方なら
痛みを完璧に所有しないこともできるでしょう
わたしの主体「全体性」は
肉体を細胞レベルで扱ってしまいます
ですからあまりの痛さに関しては所有してしまいます
大和田菜穂さんの非二元では
こらえきれない痛みをどのように扱っているのでしょうか?
黒斎さんとのコラボ講演では
癌で苦しむ彼女に
「苦しんでいるそのあなたが居ないのです」と
答えていましたね
ここからすると
痛みを抱えているそのあなたが居ないのです
こんな感じで取り扱うのでしょうか?
大和田菜穂さんと
間近で対話させていただいた雰囲気からすると
爪と肉の間に針を差し込めば
痛い痛い!と手を引っ込める、即ち所有する気がします
ただこの所有を
「所有したとは認識しない」気もします
透明人間の先生が教えてくれたことですが
イエスは拷問に対して
どれほど肉体が裂けようと
痛みを所有しなかったようです
だから拷問がエスカレートしたと語っていました
これが非二元かと感嘆しました
同時に「絶対に俺はヤダ!」と宣言しました
ぼくが主体に使っている全体性は
感情を一切所有しなくなるので「ネガティブ0」になります
ネガティブ0になると
全てが愛しく豊かになります
愛の中であり、全てが愛だと認識できます
痛みも愛と認識しますが
勘弁してほしい愛ではあります
ですから
未来にも、いまにも、不安が存在しません
おれも世界も完璧だなー!と宣言できます
個人を所有したまま楽園になります
またそういうパルスになったと理解できるので
周りのネガティブを「認識している間は解除できます」
誰かがぼくを認識すれば
認識している間は
その誰かのネガティブは解除されます
自分が認識している相手からネガティブを解除することは
「呼吸」と同じ行為になります
意図する必要はなく「そういう状態」になってしまうのです
これを「ヒーリング」と呼んでいます
ここの完璧をいまは目指しています
この探求に努力は無く「心地良さ」しかありません
大和田菜穂さんも心地良さそうですよね
31日保江博士とどんな空間を展開するのか?
とても楽しみにしています
ぼくのもうひとつの楽しみは
「わたし」が完全に消去された脳が行う
「サイレント」という空間です
この「サイレント」は
他の方が行うサイレントとは別格だと推察できます
他の方は個人を所有したサイレントです
大和田菜穂さんのサイレントは
脳の仕組みとして
完璧に個人を消去されているサイレントです
パルスが違います
これは他では味わえない至福の時間となるはずです
31日やってくれないかな~
保江博士の傍に仕えるぼくとしては
この「サイレント」には
保江博士も興味が湧くと思うのです
やってほしいな~
おわり(^^)w
ぼくが主体として使っている
全体性
これについて書きます
下野さんが伝えようとしてくれている
文字で伝達するときのセオリーが少しだけ
見えてきました
ありがとうございます!
非二元と全体性の違い
大和田菜穂さんの非二元は
個人を所有する限り苦しむと提唱しているように見えます
ぼくが主体としている全体性は
個人を所有することは自然であると認識します
しかし
個人に感情や感覚を所有させない
個人に感情や感覚を所有させるから
自分勝手なストーリーを捏造して
自分も苦しみ、周りも苦しめると認識しています
共通項は
感覚や感情は個人のものではなく
現れては消える現象だと認識しているところです
思考に関しては「価値観からの捏造」であるから
感覚や感情より論外のモノで
自分を所有する限り「苦しみの種」を製造し続ける
やっかいな存在です
しかし同時に、扱い方が分かれば
生きている時間をファンタジーランドにしてくれる
大変ありがたい「おもちゃ」でもあります
さてここで全体性から
大和田菜穂さんの非二元に質問があります
非二元には
痛みはどんなものですか?
全体性は痛みを
「仕方なく所有してしまうモノ」と認識します
感覚や感情を完璧に所有しないように
痛みを完璧に所有しないわけにはいきません
KANさんのように
肉体を原子レベルで認識している方なら
痛みを完璧に所有しないこともできるでしょう
わたしの主体「全体性」は
肉体を細胞レベルで扱ってしまいます
ですからあまりの痛さに関しては所有してしまいます
大和田菜穂さんの非二元では
こらえきれない痛みをどのように扱っているのでしょうか?
黒斎さんとのコラボ講演では
癌で苦しむ彼女に
「苦しんでいるそのあなたが居ないのです」と
答えていましたね
ここからすると
痛みを抱えているそのあなたが居ないのです
こんな感じで取り扱うのでしょうか?
大和田菜穂さんと
間近で対話させていただいた雰囲気からすると
爪と肉の間に針を差し込めば
痛い痛い!と手を引っ込める、即ち所有する気がします
ただこの所有を
「所有したとは認識しない」気もします
透明人間の先生が教えてくれたことですが
イエスは拷問に対して
どれほど肉体が裂けようと
痛みを所有しなかったようです
だから拷問がエスカレートしたと語っていました
これが非二元かと感嘆しました
同時に「絶対に俺はヤダ!」と宣言しました
ぼくが主体に使っている全体性は
感情を一切所有しなくなるので「ネガティブ0」になります
ネガティブ0になると
全てが愛しく豊かになります
愛の中であり、全てが愛だと認識できます
痛みも愛と認識しますが
勘弁してほしい愛ではあります
ですから
未来にも、いまにも、不安が存在しません
おれも世界も完璧だなー!と宣言できます
個人を所有したまま楽園になります
またそういうパルスになったと理解できるので
周りのネガティブを「認識している間は解除できます」
誰かがぼくを認識すれば
認識している間は
その誰かのネガティブは解除されます
自分が認識している相手からネガティブを解除することは
「呼吸」と同じ行為になります
意図する必要はなく「そういう状態」になってしまうのです
これを「ヒーリング」と呼んでいます
ここの完璧をいまは目指しています
この探求に努力は無く「心地良さ」しかありません
大和田菜穂さんも心地良さそうですよね
31日保江博士とどんな空間を展開するのか?
とても楽しみにしています
ぼくのもうひとつの楽しみは
「わたし」が完全に消去された脳が行う
「サイレント」という空間です
この「サイレント」は
他の方が行うサイレントとは別格だと推察できます
他の方は個人を所有したサイレントです
大和田菜穂さんのサイレントは
脳の仕組みとして
完璧に個人を消去されているサイレントです
パルスが違います
これは他では味わえない至福の時間となるはずです
31日やってくれないかな~
保江博士の傍に仕えるぼくとしては
この「サイレント」には
保江博士も興味が湧くと思うのです
やってほしいな~
おわり(^^)w