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Channel: 新しいノンデュアリティ
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ちゃぶ台さんとの対話:ぶれがなくて気持ちいい!

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ぶれませんね~ちゃぶ台さんエネルギー、こういうの好きです!

このぶれない表現をしているちゃぶ台さんは
「それ」ですか?「ちゃぶ台さん」ですか?「わたし」は外れています?


大和田菜穂さんという「現れ」と遭遇して見えてきたことがあります。それは「主体と主語が無い」という点です。まさに現れては消える、そういう意識だとわかりました。色即是空空即是色が人格化しているとしか言いようがありません。


多くの場合「自分を自分と思っている:0.5秒解析後の捏造された自分」ので「わたしの感情」として脳というフィールドは悲しみや怒り処理します。だからその感情を負と認識すれば(この認識が捏造ですが)根に持ちます。


悲しみや怒りを根に持たなければ、
   誰かを嫌悪することはありません


わたしの悲しみや怒りになっているので「わたしの体験」として認識してしまう。結果、根に持つ仕組みのようです。逆に喜びを根に持つという経験は無いと思います。正の感情と脳が捏造すると「いい思い出」という記憶に変換するので、根に持つことはありません。ほわんと持って気分がいいと思い出す。


自分を自分だと認識している分離感は、常に自分という存在価値が下がることを恐れています。これは自然なことです。なぜなら、自分を自分だと認識している状態は「自分が不完全であると常に認識する設定」になっているからです。


過去世からの精神の弱さとか、トラウマとか、そんなドラマティックなものではなく、自分を不完全と感じることは「機能としての設定」に見えます。そこを「それ」が語ると「苦しいと感じているあなたがそもそも居ないのです。あなたの苦しみなど存在しません」こうなるでしょう。


「わたし」という場所に「主体がある状態」と、「それ」という場所に「主体がある状態」では、言葉を紡ぐ根本理念が大きくずれます。この大きなずれがリトリートなど「長時間互いを認識し合うこと」で修正されてゆく。それは「わたし」という誤作動が「それ」の刺激を受けて、自然に修正されてゆく「当たり前の現象」に見えます。


「わたし」は誤作動であり
「それ」は正常なのですから
根本理念、即ち「主体が正常な位置に来る」のです


ちゃぶ台さんのコメントは「わたし」が居たままでしたか?それとも「それ」から起きたものですか? 色即是空 空即是色 この解釈は「わたし」が介在する状態でのコメントでしたか?「それ」のコメントでしたか?


習慣なので練習中ですが「わたし」という主語を外しています
練習中ですがわかったことがあります


主語・主体を消滅させると
悲しいは悲しいが現れただけで直ぐに消滅してゆく
根に持つ誰かが消失してしまうのです


喜びは喜びとして現れただけで直ぐに消えてしまう
思い出にもならないのです


「解放:自由」が起きました。しかし同時に「つまらない」も起きました。この「つまらない」は「わたしのモノ」ではありません。「それ」から来た「つまらない」です。これに対して大和田さんはこういうかもしれません。「わたしに引き戻されています。幻想に引き戻されています。それがわたしです。」言うかもしれません。


でもこの「つまらない」は掴んでないんだよな
「ただある」なんだよな~

これどう思いますちゃぶ台さん(^^)v
ちゃぶ台さんとのやり取り

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