これはボブフィックスさんが講演で話してたこと
それをぼくなりに理解した話
人間は海を観て「波が立ってるね!」と言う
でも海は波のことを波とは思わない
それは海だと主張する
波と言うのは
人間がそう呼んでいるだけのもので
それ海だよ。。。になる
自分が居る、相手が居る、この感覚を分離感と言う
この分離感があると海の表面で起きている変化を
波と認識してしまう
自分も相手も居ない、この感覚を全体性と言う
この全体性が自我となると
海の表面で起きていることを波とは呼ばなくなる
そこには海があるだけ。。。こうなる
波と呼んでしまう自分が居る
海があるだけと感覚する自分が居る
波と呼んでしまう自分を「色」
海があるだけと感覚する自分を「空」
「空」という分離感を持たない自分になれば
波と言う感覚は消失する
すなわち「色」は消失する
「色」が現実、
「空」が無とかライフと呼ばれているもの
自分は居ない
↓
現実が消える
↓
無、ライフ、だけが残る
↓
自我に愛だけが残る
↓
色即是空が完成する
さてここからが天使長の話
色即是空は空即是色と繋がる
「色即是空」
全ての現実は全て空なのです
本当は何もないのです、何も起きていません、
あなたもわたしも居ません
だから安心しなさい
あなたがそもそも居ないのです
苦しみも絶望もあなたが持っているものです
あなたがいなければ消えます
真実を知りなさい
「空即是色」
空はすべての現実に現れています
現実は全て「空の現れ」なのです
ですから現実と言う場所に
不完全なものなど存在しません
その苦しみも、その絶望も、
全て完全である「空の変容」なのです
空の現れが現実なのです
だから大丈夫です
すべてが空だと知りなさい
感覚、現象、あなたが感知する全てが空です
絶対安全、完成されたものなのです
この事実が見えたとき
あなたは自分という現象をどのように扱いますか?
ぼくはこのように解釈しました
色即是空
=真実を知り、すべては無いと確信する、
自分が居なくなり愛になる
空即是色
=真実を知り現実は絶対安心だと確信する、
だから自分であることに怯えがなくなる
結果、自分大安心になりのびのび遊ぶ!
世界を起きてるだけと見て愛として過ごすのか?
世界を最高のテーマパークと見て遊びつくすのか?
あなたはどちらを選択したい?(^^)
自分であることを無くしたい?
自分であることを遊びつくしたい?
肉体が消えるんならいいんだけど
肉体を原子レベルで扱えない限り
肉体は消せないんだ
肉体を消せないってことは
細胞レベルで肉体を扱ってることになる
細胞レベルは分離感の世界だからね
肉体を原子レベルで扱えないということは
現実というテーマパークに居ると言うこと
二元に居ると言うこと
ぼくにはこういう景色が見えた
ディズニーランドで「ミッキー!」とはしゃいでいる人に
「あれの中身は人間よ」と告げる人
ミッキーが襲ってくるゾンビなら
「あれの中身は人間よ」この真実は救いになる
しかし
「ミッキー!」と喜んでいる人には野暮だ
真実がいつも救いになるとは限らない
しかし多くの場合は現実テーマパークで
ゾンビを相手にしている人が圧倒的に多い
ミッキーと遊びたいのにゾンビとばかり遭遇する
そういう意味では一度「波=色」を離れて
波などない、あれは海だ!と自分が居ることを離れて
ゾンビの中身は人間かよ!と真実を知った方がいいと思う
そうしないと遊べないもの
現実テーマパークは(^^)
自分は居ないに対して山川こうやさんは
「その話、ロマンが無いから嫌だ」と言ったそうな
野暮と同じ感覚だろう
どう?伝えたいこと映像として見えてきた?
理屈じゃなく映像として見えてきた?
伝わるといいなー!
それをぼくなりに理解した話
人間は海を観て「波が立ってるね!」と言う
でも海は波のことを波とは思わない
それは海だと主張する
波と言うのは
人間がそう呼んでいるだけのもので
それ海だよ。。。になる
自分が居る、相手が居る、この感覚を分離感と言う
この分離感があると海の表面で起きている変化を
波と認識してしまう
自分も相手も居ない、この感覚を全体性と言う
この全体性が自我となると
海の表面で起きていることを波とは呼ばなくなる
そこには海があるだけ。。。こうなる
波と呼んでしまう自分が居る
海があるだけと感覚する自分が居る
波と呼んでしまう自分を「色」
海があるだけと感覚する自分を「空」
「空」という分離感を持たない自分になれば
波と言う感覚は消失する
すなわち「色」は消失する
「色」が現実、
「空」が無とかライフと呼ばれているもの
自分は居ない
↓
現実が消える
↓
無、ライフ、だけが残る
↓
自我に愛だけが残る
↓
色即是空が完成する
さてここからが天使長の話
色即是空は空即是色と繋がる
「色即是空」
全ての現実は全て空なのです
本当は何もないのです、何も起きていません、
あなたもわたしも居ません
だから安心しなさい
あなたがそもそも居ないのです
苦しみも絶望もあなたが持っているものです
あなたがいなければ消えます
真実を知りなさい
「空即是色」
空はすべての現実に現れています
現実は全て「空の現れ」なのです
ですから現実と言う場所に
不完全なものなど存在しません
その苦しみも、その絶望も、
全て完全である「空の変容」なのです
空の現れが現実なのです
だから大丈夫です
すべてが空だと知りなさい
感覚、現象、あなたが感知する全てが空です
絶対安全、完成されたものなのです
この事実が見えたとき
あなたは自分という現象をどのように扱いますか?
ぼくはこのように解釈しました
色即是空
=真実を知り、すべては無いと確信する、
自分が居なくなり愛になる
空即是色
=真実を知り現実は絶対安心だと確信する、
だから自分であることに怯えがなくなる
結果、自分大安心になりのびのび遊ぶ!
世界を起きてるだけと見て愛として過ごすのか?
世界を最高のテーマパークと見て遊びつくすのか?
あなたはどちらを選択したい?(^^)
自分であることを無くしたい?
自分であることを遊びつくしたい?
肉体が消えるんならいいんだけど
肉体を原子レベルで扱えない限り
肉体は消せないんだ
肉体を消せないってことは
細胞レベルで肉体を扱ってることになる
細胞レベルは分離感の世界だからね
肉体を原子レベルで扱えないということは
現実というテーマパークに居ると言うこと
二元に居ると言うこと
ぼくにはこういう景色が見えた
ディズニーランドで「ミッキー!」とはしゃいでいる人に
「あれの中身は人間よ」と告げる人
ミッキーが襲ってくるゾンビなら
「あれの中身は人間よ」この真実は救いになる
しかし
「ミッキー!」と喜んでいる人には野暮だ
真実がいつも救いになるとは限らない
しかし多くの場合は現実テーマパークで
ゾンビを相手にしている人が圧倒的に多い
ミッキーと遊びたいのにゾンビとばかり遭遇する
そういう意味では一度「波=色」を離れて
波などない、あれは海だ!と自分が居ることを離れて
ゾンビの中身は人間かよ!と真実を知った方がいいと思う
そうしないと遊べないもの
現実テーマパークは(^^)
自分は居ないに対して山川こうやさんは
「その話、ロマンが無いから嫌だ」と言ったそうな
野暮と同じ感覚だろう
どう?伝えたいこと映像として見えてきた?
理屈じゃなく映像として見えてきた?
伝わるといいなー!