6日が稽古なので打診してみます。理論物理学は、魂を科学の世界に引き込める唯一の分野かもしれません。ぼくは物理学は素人ですが、素領域理論などはまさに「ライフを論理的に実証しようとした理論物理学」ではないかと思えます。
その昔、保江先生の知り合いの阿闍梨さまが京都で講演したとき、時間も距離も関係ない。人の意識は山を越え谷を越え繋がっている。だからわかるんだよ。
と講演して、その場にいた科学者たちにあからさまにけなされたそうです。そのてき1人の老人が近くに来て「あんたの言っていることは本当だから、あなたが感じていることを信じてこれからも続けなさい」と言ってくれたそうです。それが湯川秀樹先生だとあとで阿闍梨さまは知ったそうです。
湯川先生は保江先生の書いた論文が好きで病院のベッドで良く読んでいたそうです。ライフを論理的に説明できる可能性は理論物理学にあると思います。
同じ世界を見ている。しかし、どの意識階層で見ているかで「捉え方が変わる」
この捉え方の違いを次元が高いとか低いとか論じていることがそもそも低い。
宇宙人の話をして周りが平らになったなら、それがその人がその人として体験したい場所。
体験したい場所に居ないから
探求してるだけ
体験したい場所に来ればわかる。体験したい場所で続けることは探求ではない、プレイだ。
ぼくはいまのところジーザスクニストの隣で、天使長ルシファーをしているプレイが気にいっている。だから周りは平らになる。
ライフという階層のプレイには興味はあるが移ろうとは思っていない。
悟るとは一階から二階に上がるような行為だ。ただ階段がないので瞬間移動する。そして定着したら、少なくとも自分を所有しなくなる。所有しなくなるからぶつからない。ぶつからないから平和になる。
短所を受け入れているうちは一階だよ。自分を所有しなくなると、受け入れるなんて感覚はなくなる。だって全部本心になるから。本心は自他を平らにするから。
ライフの場所では、川を流れる水のような感覚になるのだろうから、こういった判断はなくなるだろう。
ルシファーは判断するが、ライフは判断しない。ライフに判断なんかない。「ある」ただそれだけ。
ないのにある
ただそれだけ
ぼくはまだルシファーの階層が、
いい!(^_^)☆
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ぼくはまだルシファーの階層がいい!
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