ノンデュアリティ:自己を所有していない自我
エーテルラインを外し、コーザルラインで自我を形成している状態。アストラルラインで自我を形成すると「戦争をしない研究者」みたいになる。戦争はエーテルラインにしか存在しない。エーテルライン状態で宇宙意識や多いなる愛を体験してしまうと「他の思想は拒絶する愛の人」になる。この人はバリアーなんて言いながら拒絶する人^^
戦争とは「場」なんだよ。統合とはエーテルラインの切断と言ってもいい。自我から戦争が無くなるの。自我が戦争と言う振動数に触れているから「執拗に気になる」「執拗に心配する」「執拗に求める」なんて状態にもなる。
命がけって
自己を所有してないと意識できない
アトラクションとしては、成功すればたまらなく快感を得られる。御祈祷で命がけになり、相談者が奇跡的に回復すれば、たまらない快感が二人を包む。感動巨編の出来上がりだ。ここは中毒になりやすいから、中毒症状が出なければ楽園だと思う。
エーテルラインを外し、コーザルラインで自我を形成している状態。アストラルラインで自我を形成すると「戦争をしない研究者」みたいになる。戦争はエーテルラインにしか存在しない。エーテルライン状態で宇宙意識や多いなる愛を体験してしまうと「他の思想は拒絶する愛の人」になる。この人はバリアーなんて言いながら拒絶する人^^
戦争とは「場」なんだよ。統合とはエーテルラインの切断と言ってもいい。自我から戦争が無くなるの。自我が戦争と言う振動数に触れているから「執拗に気になる」「執拗に心配する」「執拗に求める」なんて状態にもなる。
命がけって
自己を所有してないと意識できない
アトラクションとしては、成功すればたまらなく快感を得られる。御祈祷で命がけになり、相談者が奇跡的に回復すれば、たまらない快感が二人を包む。感動巨編の出来上がりだ。ここは中毒になりやすいから、中毒症状が出なければ楽園だと思う。
「わたしはこう思っています」
この部分で誰かと衝突する、または、誰かと縁を切る、なんて反応している限り「ライフ」を自我が認識することはないだろう。
自己を所有する自我は「戦争」をやめられない。戦争とは「場」であり、自己を所有している自我は、「戦争という場」を手放せない。だからぶつかる。宇宙意識や多いなる愛などと語りながら、意見の違いに嫌悪し衝突や拒絶を示してしまう。
自己を所有しない自我は「ライフ」そのもになる
自我でありながら「ライフ」でもあるので、自己を所有していない。「わたしはこう思っています」と表現しても、それが「ライフ」であり「ただ起きているだけ」という認識になる。自我があるので認識できる。もし自我も消せれば身体も消せる。kanさんはそうなのだろう。