感情から自由になる
根本的飢餓からの脱却
このサポートをする場所が「ぼく」になる
根本的飢餓を根本的不安と呼んでもいい
根本的なものに具体的な理由などない
存在の根に
飢餓が在る 不安が在る
こういう状態を指す
心と感情が独立していることが明白になると
不幸も幸福も
この根本的な場所の状態を写している結果にすぎないと
観えてくる
根本的飢餓が透明な状態ならば幸福
根本的飢餓が濁っていれば不幸
すなわち
根本的飢餓や根本的不安と呼べる状態が
存在の根に設定されているのが
「人間」ということになる
人間は幸福や不幸を体験するシステム
それを別に例えるなら「感情を体験するシステム」となる
根本的飢餓を透明にする
根本的不安を透明にする
そのひとつの手段が冠光寺眞法であり
透明な状態が「愛魂」かもしれない
光の記憶とは
ここが透明になった時に現れる「あちら側」と言える
さて4日はワークショップ 5日は稽古
11日会 面白い変化を起こせるだろうか?
ちょっとわくわくしている
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感情から自由になる 根本的飢餓からの脱却
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