魂に自他はない
一は全、全は一の世界にある
たとえは極端だけど
電池で動くおもちゃのようなものが人間
電池が魂
たしかに魂という電池には
名前が書いてある
ただ名前が書いてあるだけで
性能としては一緒
だから入れ替えることができる
入れ替えると何が起きるか?
自他という意識の壁が消える
「他人の気がしない」という感覚が産まれる
他人の気がしない
こう思ったとき人は協力的になる
それもできる限り協力しようとする
男女間では恋愛感情が産まれる
なのでやっかいなときは
入れ替えた電池の電力を上げる
そうすると
この人に迷惑をかけたくないという
愛に変わる
魂を入れ替えるなんて
何バカなことを言っているんだ!
と言われてしまうことのほうが
現時点では多いと思う
しかしワンネスとはそういうことだと思わないか?
魂は「一は全、全は一」という自他のない存在だ
そんな存在が
それぞれに感情を持ち
個性的な使命を持ち
存在しているとは思えない
あの世で描いたブループリントは
自他の世界に降りたとしても
愛と調和を忘れないで表現できるか?
こんな共通なものと思える
ただそれを成し遂げるステージが違う
それがぼくなら
吉野太というステージだということ
自我とはステージ
魂が演舞するステージ
魂の自分が自他の世界で
愛と調和を表現するステージ
それが自我だ
ぼくなら吉野太だ
これを黒斎さんはキャラクター意識と呼んでいる
ホロスコープの点はステージ
ホロスコープ全体が魂
保江先生の空間論は
こう言う世界だと理解している
ちょうど15日は東京道場の稽古なので
魂を入れ替えるという感覚を
興味がある人には体験してもらおう
ステージ設定には個別なものがあるが
原動力である魂は「同じ」
愛と調和の
表現の仕方には違いはあるが
原動力に違いはない
わたしにできることはあなたにもできる
イエスは嘘をつくような器用ものじゃない
魂に個性があるという感覚は
自我に埋没した病と言っていい
魂は
あなたはわたし、わたしはあなた
あの世の住人なのだから
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魂を入れ替えるコミュニケーション
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