空間は宇宙意識
肉体は粒粒の集合体
空気も粒粒の集合体
触れ合えば肉体とはぶつかるが
空気とはぶつかる感覚がない
これは
肉体を見ると
脳が粒粒にフォーカスし
空気を見ると
脳が空間をフォーカスするから
だから
肉体を見たとき
肉体を構成している空間を見る
そうすると
宇宙意識と宇宙意識になるので
ネガティブを体験する
強烈なぶつかりは
消失する
自我もそうだ
「相手」と認識すると
粒粒を見てしまう
「外側の自分」と認識して
空間を見る
正しさがぶつからないから
ご機嫌な意思の疎通になる
原子という塊は
空間によって繋がっている
原子という塊の中心は
空間になっている
内と外から空間に包まれた塊
これが自我
空間は宇宙意識
内と外から宇宙意識に包まれた塊
これが自我
空間を実相と観れば
気重になる自我の衝突はなくなる
粒粒が激しくぶつかることが
なくなるからだ
心地よさ ご機嫌 感謝
これらも塊が衝突することで発生する
空間を実相と観ると
暴走する衝突はなくなる
目の前の暴走する衝突を
価値観を共有することなく
消せる実感が湧く
あとはひたすら鍛錬
24時間 空間を見つめる鍛錬
思考は使う必要なし
思考はオートコントロールになる
必要フィットな思考が湧いて来る
アカシックレコードの発動だ
全ての知覚・認識は
空間により結ばれ存在している
空間は知覚・認識することができない
できないが
見つめると自我と統合してゆく
空間(宇宙意識)と
自我の統合された状態
これが「慈我」だ
慈我をキリスト意識と呼ぶ
慈我をブッタと呼ぶ
だって(^_^)☆