自分を誰かで満たそうとする限り
カルマは外れない
魂に目覚めるとわかる
自分は自分でしか満たせない
響き合うために必要なのが相手
満たすためのものじゃない
この人が私を満たしてくれました
この子が私を満たしてくれました
この場所は至福だろう
しかしこの場所は
下り坂の頂点だ
忍耐と辛抱の花が咲き続ける
因縁人生の幕開けだ
魂の場所に居ます
自分が自分で満たされています
世界が愛と光に満ちています
この至福は上り坂の底辺だ
後光さす人生の幕開けだ
イエスヒーリングは
上り坂の底辺に存在しています
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愛魂をやり方と思っている人は
運よく愛魂を使えることがあるだけで
コンスタントには使えない
愛魂を 在り方 生き方
と捉えている人は
自らの感覚で愛魂を意図できるので
コンスタントに使えるようになる
因縁に捕まっている思考は
やり方を覚えることに必死になる
大学ノートの山ができる
魂の場所に思考があるとき
情報収集は趣味になる
やり方を示唆している表現には
興味がなくなる
今日も器から魂が溢れている
頭は空に限る
ねぇ アインシュタイン博士❤️
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愛するとは
何をしたかじゃない
どう在ったかだ
心は魂を宿す器 聖杯
聖杯を前に持てば
魂は因縁とまみえる
後ろに持てば神とまみえる
聖杯が前にあると
自分を誰かで満たそうとする
愛するほどに愛は怨念になる
後ろにあると
高次元の自分が自分を満たす
誰かで満たそうとはしなくなる
この状態が無償の愛だ
響き合う愛という姿だ
愛は在り方
やり方ではないんだ
愛するは
何をしたかではないんだ
相手を想うとき
どう在ったかなんだ
心を後ろに置けば響き合う
それが愛
求め合うのは因縁なんだよ
ソウルメイトは響き愛
因縁メイトは呪い愛
心は繋げない!
在り方として覚えて欲しい
心は、
自分と呼べる意識は、
愛響く音叉の器 聖杯
なんだから
(^_^)☆