だいたいの人は「私」と意識すると「心」になります。
ノンデュアリティを意識している方は「私」を個人とは思わなくなる。即ち「心」を「私」とは思わなくなる(笑)
心を私と思いながらノンデュアリティを学ぶから、ややこしくなるんです(笑)
個人があるのは「心」です。思考も「心」が作ります。思考は「個人」があるから生まれます。
身体に個人は
あるのでしょうか?
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身体に個人はありません
心に個人があるだけです
身体には個別といった感覚はないのですが、身体は「心に所有されることを拒みません」
身体には個人個別はありません
心には個人個別がハッキリあります
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結果身体は「心の反応」を受け入れます。だから嫌いな相手と長居すると胃が痛くなります(笑)蕁麻疹もでます(笑)
他者を拒否しているのは「心」だけです。心に所有されているから、身体は異変を起こします。心が身体を所有しなければ、身体はかなり健康になります(笑)
身体は他者を拒絶しません。身体が拒絶するのは物質アレルギーだけです(笑)
他者を拒絶するのは「心の性質」です。この性質を変えることはできません。
心は他者を拒絶します。しかし陰陽なので、心は他者を求めもします。
だから「心」は厄介なのです(笑)厄介ですが、この厄介が「面白い!楽しい!」にもなります(笑)
心は個人がハッキリしているので「好む好まない」がハッキリしています。
心を「自分」や「私」と思い込んでいる限り「好む好まない」に人生が振り回される。
だから解決策はノンデュアリティになるのです(笑)
ノンデュアリティを知った「心」は「私」と「心」は別物だと認識します。
空即是色 色即是空なら
私即是心 心即是私になります
私とは「全て」なのです。物理学で表現すれば、私とは「素粒子」です。素粒子が海や山になり、あなたやボクになります。
だからといって山を見て「素粒子だ」と言う人は居ません(笑)それは
心が個人だからです
個人とは「自分と、自分とは違うものがあると認識する感覚」 を指します。
ノンデュアリティを視た「心」は、自分とは違うものも「私」だと認識します。
ノンデュアリティを視た「心」は、自分とは違うものを避けることはあっても拒絶まではしない。
自分とは違うものを避けることはある。だけど拒絶はしない。
この状態になった「心」は、かなり「楽」に動きます(笑)
人間関係が苦しくなるのは「隣人を拒絶」するからです。自分とは合わないと拒絶するからです。
拒絶はエネルギーとなり
隣人に確実に届きます
心は拒絶に敏感です
ノンデュアリティを視た「心」からは拒絶が消えます。拒絶が隣人に向かわなくなります。ですから滅多にイザコザが起きなくなる。
隣人がイキるときはあっても、こちら側に拒絶が起きないので、隣人のイキりは続きません。
エネルギーは反応されないと拡散して、そのエネルギーを保てないのです(笑)
心が個人を捨てたら病気になります(笑)心には個人を楽しませる必要があります(笑)捨てることは悟りではありません(笑)
それを強力にサポートできるのがノンデュアリティです。ノンデュアリティを理解すると「心には得なことばかり」になります。
何も得られないなんて言うからややこしくなるんだよ(笑)
ノンデュアリティを知ることで「心」は拒絶を離脱できます(笑)素晴らしく得な話なのです(笑)
こういった「心」が人生をエンジョイするための情報をお伝えしている「道のひとつ」が
ゆたかに生きるためのノンデュアリティになります
拒絶が無くなると
心は好きに苦手を避けられます(笑)
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苦手を好きに避けられる心は
自分の好きを大切にできます
↓
自分の好きを大切にできる
ゆたかな人生ですよね(笑)

この二人が一緒になり都政を動かしたら、政治に未来が起こる!!!