痛み=わざと作ったもの
0.5秒前から生きるとこれがリアルになる。
ああ…痛い
さあ物語を始めよう
聴衆を魅了する物語を!
痛みは神が望んだアトラクション
完全不調和のアトラクション
痛みに対して
面白いと反応すると謎ときが始まる
このとき
相対性理論が肌で感じられるから
面白さが倍増する
初期設定はこんな感じ
ーーーー
>あります
おお!すごい阿部先輩!
ーーーー
>最も重要なことは、その同じ大いなる意識は、まさにいま、あなたが感じている「それ」だということです。
どのような意識や感覚も実は切り離されたものではなく、大いなる意識そのものだった、という解釈はありですか?
>あります
おお!すごい阿部先輩!
共振伝達だ!
>あるがまを相手にしなければ、リアルな展開はない。
現実は
無(0.5秒前)で起こした「波」を物質化したに過ぎない
そのままの結果
そのままの結果を相手にした方が
確実に実相に近づく
そこにスピな理由づけ(特別な理由など)をしていることが
遠回りになっているとぼくは理解する
病気で苦しんでいる人や、
不実な裏切りを受けて傷心している人には
面と向かってはこのことを言わない
人間性と呼べる「情」は人間の大切な「文化」だ
悲しんでいる相手に実相はただの刃にしかならない
病も葛藤も
ほんとは「無」を無視して生きることを続けている結果
あるがままの姿
現実は我、実相はその0.5秒前の無、
だから無を忘れない我は無我のリズムを刻む
無我のリズムはエネルギーとして拡張を起こす
存在としての状態が拡張しているとき
ぼくら我は病になれないし、葛藤もできない
葛藤も、病も、収縮しすぎたときに起きていることだから